それからしばらくは相手の動きがなく、ジリジリとした時間が流れた。ライラは焦っているだろうが、敵もかなりの手練れということがわかったので、レベルアップに勤しんでいる。リズやシリカたちと一緒にプレイするのも楽しいらしい。
そして、ようやく敵に動きがあったのは、数日後だった。ユイが、管理者権限などない厳しい中で、調べた情報をまとめてくれたのだ。アスナとライラを呼び出し、ユイからの報告を受ける。
ユイからの報告は二つ。一つは、フードの男……PoHが、前回大会にエントリーした際、不審な動きがあったこと。ユイによると、エントリー履歴のタイムスタンプが一部改ざんされているらしい。つまり、エントリーの締め切りを過ぎた後、運営側が無理矢理ねじ込んだ可能性がある。その目的は不明だが、やはり運営と組んでいる可能性が高いということだろう。
そしてもう一つについては……。
「あの……パパ。これは役に立つかわからないんですが……」
「今はどんなことでも重要なんだ。教えてくれるか、ユイ」
そういってユイが見せてくれたのは、意味不明の数字が並んだテキストデータだった。
「この表示は、誰かのメッセージか。でもこの数字は……?」
「フードの男に関する情報を検索していたら、このメッセージが引っかかったんです。差出人はフードの男だと思われるんですが、宛先がなくて……」
「宛先がない……それで送信したのか?」
そもそも、宛先を入れずに送信できるのだろうか。いや、それは運営側と手を組んでいれば解決する。だとしたら理由は……。
「それに、この数字はなんだ。何かの暗号か?」
「数式という感じでもないし……ただのバグなのかしら」
「私にも見せてくれ」
俺とアスナの間から、ライラがのぞき込んでくる。しばらく数字を凝視していたが、急にハッと顔を上げた。
「これは……座標だ」
「座標って……クロスエッジのどこかを示しているってこと?」
そう聞くアスナに頷いて、ライラは更に続ける。
「これは、クロスエッジの開発で使われている座標と同じ形式だ。もちろん、一般プレイヤーが知ることはできない情報だけど」
「そうか、それなら……これは俺たちへのメッセージだ」
自分が調べられることを見越して、わざと調査に引っかかるようにメッセージを残す。ライラが座標だと見抜くことまで織り込み済みだろう。
「謎が解けたら、ご褒美に会ってやる……さしずめそんなところだろう」
「くっ……ミハエルをさらっておいて、そんな遊びみたいな……」
「PoHらしいやり方だ。でも、さっそく向こうから動いてくれたんだ。相手を追い詰める突破口になるかもしれないぞ」
向こうは準備万端で待ち構えているだろうが、虎穴に入らずんば虎児を得ず、だ。
「ライラ、この座標はどこかわかるか?」
「えっと、ちょっと待ってくれ」
ライラはコンソールを呼び出すと、すごいスピードで調べ始めた。すぐに地図を表示させ、一点を指さす。
「たぶんここだ。街から離れた廃墟エリア。エプシロンに運営が移ってから実装されたフィールドで、普段はイベントにしか使われていない」
「なるほどな。ここで待ってるってことか。なら明日、さっそく行ってみようぜ」
「明日か……わかった。みんなすまない、巻き込んでしまって……」
「気にしないで。わたしたちも他人事じゃないんだから」
「うん……ありがとう」
「何が仕掛けられてるかわらかないから、準備はしっかりしていこう」
「はい、皆さん気をつけてくださいね」
ユイの表情も真剣だ。なにせ相手がPoHだからな。偽物かもしれないが、気をつけるに越したことはない。明日はアリスとユージオにも力を貸してもらおう。
翌日、俺とアスナ、ライラ、ユイ、それにユージオとアリスの6人はPoHが指定してきた座標のエリアに向かった。そこは崩れた建物が並ぶ廃墟で、人やモンスターの姿はない。
「みなさん、気をつけてください。複数のプレイヤーが待機しているようです」
「複数……?」
「うん、姿は見えないけど、気配を感じる。こっちを監視しているような、イヤな感じだね」
てっきり、PoHが一人で待っているかと思ったが、予想が外れたな。
「もしかして、《ラフィン・コフィン》のメンバーかしら」
「だったら、直接聞いてみようぜ」
「直接、ってどうするんだ?」
「こうするんだよ」
俺は大きく息を吸い込むと、声を張り上げた。
「おい、フード男! ちゃんと来てやったぞ!」
廃墟に俺の声がこだまする。
「なるほど、下手に物陰を探すよりいいかもしれませんね」
アリスが感心したようにつぶやく。それに答えるかのように、聞き覚えのある声が聞こえた。
「ククク、思ったより早かったなぁ。優秀、優秀」
物陰から姿を現したのは、やはりPoHだった。楽しそうに笑っている。
「キサマッ!」
ライラが飛びかかりそうになり、アリスが抑える。それを見たPoHの顔から笑みが消えた。
「なんだ、あんたらも来たのか。てっきり一人で来るかと思ったんだがな」
「一人で来てほしいなら、ちゃんと招待状に書いておけよ」
「いやいや、飛び入りも大歓迎だぜ。パーティーは賑やかな方が楽しい。こっちも最高のおもてなしをしないとな」
再び下卑た笑みを浮かべると、PoHはサッと右手を上げた。
「カモーン!」
その声を合図に、物陰からプレイヤーが現れる。それも一人や二人ではない。みな武器を構えているが、目がうつろで焦点が定まっていない。だが、この人たちは……。
「……三十人はいますね」
アリスが腰の剣を抜く。
「皆さん、一般のプレイヤーです! でも、様子が……」
「キリトくん、この人たちって……」
「ああ、この間バトルロイヤル大会に出場していたプレイヤーだ」
全員ではないが、確かに大会で顔を合わせたプレイヤーがいる。でも、なぜ……。
「お前、彼らに何をした?」
「そっちの女なら知ってるだろ? PAACを使った洗脳ってヤツさ」
PoHは剣の切っ先でライラを指す。だがライラはとまどいの声を上げた。
「洗脳? それに、PAACって……」
「なんだ、知らねえのか。てっきり知ってるかと思ったからよぉ」
PoHは呆れたようにため息をついた。
「まぁいい、口を滑らせたついでに教えてやるよ。ここを運営しているエプシロンはな、痛みをトリガーとしたクールな洗脳装置を作ってやがるんだ」
「なんだと?」
そんな洗脳装置、聞いたこともない。
「そうだ。強い痛みを感じると、一時的に痛覚が麻痺することがあるだろ? まぁ一種の防衛本能だな。この時、痛みを遮断される命令が脳から出るんだが……」
PoHは自分の頭をコンコン、と指で叩く。
「この脳からの命令を、サーバーからの暗示にすり替える。強い痛みで暗示を刻み込むんだ。こうすると、刺激を受けると暗示が発動し、命令に従う人形が完成だ」
脳からの命令をすり替える。確かに、そんなことが可能なら、洗脳もできるかもしれない。
「だが、防衛本能が働くほど強い痛みなんて、ゲーム中では……」
いや、できる。ユイが言っていたじゃないか。ベータテスト中に、激しい痛みを感じたプレイヤーがいたって。それに、この間のライラもそうだ。
「ペインアブソーバー。それを解除しているのか」
「ご名答! さすがだな、黒の剣士。PAAC、正式にはPain Absorber Adjusting Circuit。クロスエッジが誇る最新の洗脳装置だ」
「ペインアブソーバー調整回路……そんなことって……」
アスナが信じられないといった表情で口を押さえる。
「このゲームには、記憶に干渉するシステムが最初っから搭載されてる。そこにPAACがあれば、痛みのレベルをいじることでいくらでも洗脳が可能なんだなぁ!」
「キサマ、よくもミハエルの、私たちのクロスエッジを……」
ライラが両手に短剣を構える。その視線は怒りに燃え、熱ささえ感じそうだ。
「なに言ってんだ、もうお前らのもんじゃねえだろ」
「な、なんだと……っ!」
怒りに燃えるライラをあしらい、PoHはこちらを向いた。
「こいつらは、前回と今回の大会で、オレに斬られて暗示をかけられた人形たちだ。さあ、パーティーを始めようぜ!」
PoHの声を合図に、プレイヤーたちが襲いかかってきた。
「数がいれば勝てると思っているのですかっ!」
プレイヤーたちに斬りかかろうとするアリスを、アスナが止める。
「アリスさん、ユージオさんも聞いて! この人たち、たぶん斬られると異常な痛みを感じるよう、感覚を操られているわ!」
「感覚を操る? 本当かい、キリト」
ユージオが驚きの声を上げる。
「ああ、本当だ。強い痛みを与えれば、最悪死に至ることもあるかもしれない」
「だから、なるべく傷つけないように無力化してほしいの。もちろん、無理はしないでほしいけど」
アスナの言葉に、アリスが唇を噛む。
「くっ……そういうことですか。どこまでも卑怯な!」
「そういうことなら、やってみるよ」
「くそっ、ミハエルの作ったクロスエッジを、こんな……」
悔しそうに歯がみするライラを、アスナが優しく慰める。
「あの男……PoHを倒せば、ミハエルさんのこともきっとわかるわ。だからまずはここを切り抜けましょう!」
「……ああ、わかった」
洗脳されたプレイヤーとの戦いは、苦しいものだった。普通に戦えばこの人数差でも負けることはないだろう。だが、相手に痛みを与えてはいけない、という制約は思った以上に厳しい。相手の数を減らすことができず、ジリジリと押し込まれる。
「どうしてこんなことをするっ、PoH!」
群がるプレイヤーたちを押し戻しながら、少し離れて見物しているPoHへ叫ぶ。
「ククク、まあ教えてやるか。オレの雇い主は、お前の記憶が欲しいんだと」
「俺の記憶……?」
「アンダーワールド……そこで特別な存在を生み出す計画が合ったんだろう? エプシロンはその情報を狙っているのさ」
特別な存在……《A.L.I.C.E》のことか。だがそれは、PoHも知っているはずだ。いや、俺以上に詳しいかもしれない。なぜなら、PoHは元々、《A.L.I.C.E》を奪取するためにアンダーワールドに入ったのだから。
俺の困惑には気づかず、PoHは話を続ける。
「PAACによる洗脳技術と、思い出システムを利用した機密情報の奪取。その二つがあれば国だって動かせる。オレは、ターゲットであるお前の感情を揺さぶって、記憶引き出す役目ってわけだ。だが……オレにはそんなこと関係ねぇ。オレの目的はただ一つ……お前への復讐だ! それも、お前の一番嫌がる方法でなぁ!」
「そのために、関係ないプレイヤーまで……お前を倒せば、彼らも止まるんだな!」
「そうかもなぁ。だったらどうする?」
「速攻でお前を倒すまでだ!」
だが、このままプレイヤーに群がられていては、PoHのところまでたどり着けない。リーファのように、空でも飛べれば……。
「キリト!」
敵の向こうから、ユージオたちの声が聞こえた。
「あいつのところに行くんだね。なら、僕たちがその隙を作る」
「そうですね、このままではらちが明きません」
「PoHを倒して、キリトくん!」
「わかった、頼んだぞ、みんな!」
洗脳されたプレイヤーはユージオたちに任せ、俺は一直線にPoHへと走った。その傍らに、ライラが並ぶ。
「私も行くぞ、キリト! ミハエルのことを聞き出すんだ!」
「おう、わかった! 行こう!」
「いいねえ、大会の続きといこうじゃねぇか」
迫る俺たちに対して、PoHは剣も構えずに余裕の笑みが浮かべる。もう数歩進めば、剣が届く距離。どんな策があるか知らないが、切り捨てるまでだ!
「だが、肝心なことを忘れてるんじゃねぇか? お前も、オレに痛めつけられたよなぁ」
そう言って、PoHがライラを指さした瞬間、ライラの体がビクンとはねた。走っていた勢いそのままに、つんのめって前に倒れる。
「ライラ!?」
慌てて足を止め、剣をPoHに向けながら、ライラを助け起こそうとする。だが、その手をライラに振り払われた。
「き、キリト……すぐに私から、離れろ!」
「どうした、ライラ……」
「は、早く、離れて……」
何が何だかわからず、とっさに行動できない。その俺の背後から、PoHの低い声が響いた。
「思い出せ……痛みを!」
その瞬間。
「グ――アアアアアアアァ!!」
倒れていたライラが目の前から消えた。そして、死角から俺の喉を狙って短剣を突き出してくる。
キィィン!
すんでの所で体をひねり、その刃を受け止める。対峙したライラの額からは、大量の汗が流れ出ている。その唇は力一杯かみしめられ、血が滲んでいた。
「ライラ、しっかりするんだ!」
「ハッハー、無駄無駄無駄、無駄なんだよぉ! 自分の弟が開発したシステムで、オレの奴隷になっちまうんだから皮肉なもんだよなぁ!」
PoHの下衆な笑い声が、聞きたくなくても耳から入ってくる。だが、ライラの目からは、他のプレイヤーと違ってまだ光が失われていない。
「キリト、私から、離れるんだ……」
洗脳が不完全なのか、ライラの意志が強いのか……ライラは、まだ自分の意識を失っていない。それなら、ライラを解放する方法があるかもしれない。
「早くっ……離れてっ!」
そう言いながら、ライラは短剣を振るう。その一撃一撃が、鋭くオレの急所を狙う。自分の意思じゃない、と言ってもその戦闘スキルは健在のようだ。
「くっ……受けるのが精一杯か……!」
こちらから攻撃すれば、痛みでライラが傷つくだろう。だが、手加減して傷つけずに倒せるほど、簡単な相手ではない。
「ライラ、俺の声が聞こえるか! 意識をしっかり保つんだ!」
「っ……あああああっ!」
だが、オレの呼びかけもむなしく、ライラの攻撃が激しくなる。身を守ることなど考えていない、自らが傷つくことも厭わない戦い方だ。
「くそっ、ライラ! しっかりしろ!」
「……さん、父さん!」
「ライラ?」
ライラの視線がさまよい、俺の額辺りを見つめて止まる。その目には、先ほど前の光はなく、他の洗脳プレイヤーと同じくうつろだ。
「やめて! もう空を殴らないで! もうやめて、父さんっ!」
ライラがむちゃくちゃに短剣を振り回す。攻撃は俺に向かっているが、ライラはもう俺を見ていなかった。
「今のは……ライラは過去の記憶? 痛みでフラッシュバックしているのか?」
「ククク、《痛み》がトラウマになっているヤツには、余計に聞きやすいんだよなぁ、この洗脳は!」
「……どこまでも下衆な!」
ライラの顔は、苦しそうにゆがんでいる。攻撃も、今ではまるで幼児が腕を振り回すような、でたらめな動きだ。よほど強いトラウマを持っているのだろう。
「だが……そのトラウマが洗脳の鍵となっているなら!」
トラウマを解消し、もう傷つくことがないとわかれば、洗脳を解くことができるかもしれない。
「ライラ! 聞いてくれ!」
「うう、もう殴らないで、空だけは……!」
「ライラ、大丈夫だ! もう誰も君たちを傷つけたりしない!」
短剣を振り回すライラの肩を掴む。抵抗するライラの短剣が腕や肩を浅く斬るが、それでもかまわずに正面から言い聞かせる。
「だめ、私が守らないと……空を守れるのは、私だけだから!」
「違う、もう君は一人じゃない! 今は仲間が居るんだ!」
「なか、ま……?」
ライラの目にわずかに光が戻り、ぼんやりと俺を見つめる
「そうだ、俺たちと……仲間と一緒にミハエルを助け出す。そう誓っただろう? 信じるんだライラ!」
「私……ミハエル……!」
「そうだ、ライラ! もう過去なんか見るな! 前だけを見るんだ!」
こわばっていたライラの体から、力が抜ける。手に持っていた短剣を落とし、その手で俺の肩をつかんだ。
「きり、と……」
「大丈夫……君の味方は目の前にいる」
「 ……うう、私は、そうだ…………! 私、私は……ミハエルをっ! うああああああっ!」
ライラの目に、力が戻る。
「……ああ、私はひとりじゃない。みんなでミハエルを、救い出す。そうだな? キリト……」
「なっ!? なんだとっ!!!?」
「よう。大丈夫か?ライラ」
「いいや、最悪の気分だ。だが……悪くない気分だ」
「ば……バカな! 自力で洗脳を解いただと!」
「こっちももうすぐ片付くよ、キリト!」
ライラが洗脳を解いてすぐ、ユージオの声が聞こえた。見れば、いつのまにか洗脳されたプレイヤーはみな吹き飛ばされ、倒れている。
「アリスとユージオくんが、神聖術を使って倒してくれたの」
「いえ、アスナも相手を傷つけないよう、私たちの術を支援してくれました。そのおかげです」
「さすがだな、みんな」
誰も斬ることなく、全員を無力化する。言葉で言うのは簡単だが、やるのは恐ろしく難しいだろう。しかも、三人とも目立ったダメージは負っていないようだ。この調子なら、すぐに全員を無力化できるだろう。
「さて、残りはあんただけだな、PoH」
「くそっ、こうなったら……」
PoHが武器を構えて吠える。だがその声からは、余裕が失われていた。
「ライラ! お前にはもう一度、今度は悶え苦しんで死ぬほどの痛みを味わわせてやる!」
やはり、違う。今、取り乱しているあのフードをかぶった男は、PoHではない。
ずっと違和感があったが、今確信した。あいつは偽物だ。
「今からは、このオレが直々に相手をしてやるぜ、クソどもがっ!」
「いい加減、正体を現したらどうだ、偽物さんよ」
「なんだと!?」
「アンダーワールドで行われていた計画……アンタは何を知っている?」
「あぁん? そんなもの知らねぇよ。だからてめぇの記憶を……」
「それが、根拠その一だ」
「なにぃ!?」
「知ってるはずなんだ、あんたが本物のPoHだったらな。その計画の成果を奪うために、アンダーワールドにダイブしたんだよ、PoHは!」
フードの男の目に、狼狽の色が浮かぶ。
「な、何を言ってやがる……計画だと? クソッ、クソクソクソォォォ!」
「それが根拠その二。もし本物なら、こんなことで狼狽えたりしない。あんたからは感じないんだ。本物にしか出せない真の狂気を」
どこまでも相手を追うあの執着心。目的のためなら、周囲の全てを利用し、そして全てを棄てるあの狂気。それが、この男にはない。
「う……うるせぇ! だからどうした! てめぇが死ねば、全てOKなんだよぉ!」
フードの男が、こちらに向かって突進してくる。そこには、もうPoHらしさはひとかけらもない。
「殺してやるっ! キリトっ!」
「気をつけろ、キリト! ソイツの攻撃を食らうと……!」
俺をかばおうとするライラを抑え、フードの男の正面に立つ。
「わかってる。大丈夫、今の俺たちなら、コイツには負けない」
「オラアアアアァァァ!」
フード男の、渾身の一撃。鋭いが、それだけだ。どれだけ痛みが激しくても、斬られなければ問題ない。
「――ハアッ!」
紙一重で攻撃をかわし、相手の脇腹をなぎ払う。うめき声を上げて体勢を崩したところに、返す刀で背中に一撃。フード男は剣を振り上げて受け止めようとするが、崩れた姿勢では受けきれず、斬られて地面に倒れ伏した。
「くっ……このまま、負ける……いや、ダメだ。オレは……いや、あの人は負けない!」
地面に倒れたまま、PoHが声を絞り出す。あの人とは、PoHのことだろう。
「そう、負けるはずがない。あの人は、オレに光を……」
「PoHは光なんかじゃない。周りに憎しみと怒りをまき散らし、争いを生み出す闇そのものだ。それに、もうPoHは存在しない」
「そんなこと、認められるかぁ! だったらオレが……ここに……」
突きつけている剣の下で、フード男の体がブルブルと震えだす。
「おい、何を言っている」
何かをつぶやいているのは確かだが、声が小さくて聞き取れない。だが、抵抗するような動きはないようだ。
「キリトくん! そっちも終わったみたいね」
「ああ、なんとかなった。そっちも終わったのか」
「ええ、皆の協力のおかげです」
見れば、プレイヤーの数が減っている。
「気絶した人は、みんなログアウトしてるみたい。ユイちゃんに調べてもらってるわ」
「そうか……ありがとう、みんな」
偽PoHを倒し、洗脳プレイヤーたちも全員無力化した。これでやっと終わりだ。
「さあ、今度こそ全部話してもらうぞ」
「そうだ、ミハエルのことを教えろ! そういう約束だっただろう!」
「………………」
フードの男は、相変わらず何かをつぶやいている。
「おい、ミハエルのことを話せ! 何をブツブツ言ってるんだ!」
そう言って、ライラが男の体をつかみ起こす。男の体からは力が抜けており、腕がぶらんと揺れる。だが……目には奇妙な光が見えた。
「……所詮、上辺を真似てもあの人になれるわけがなかった。人格を作るのは、魂。魂を同じくすれば、あの人もここに存在する」
言っている意味はわからない。だが、とてつもなく危険な予感がした。
「キリト、コイツは何を言って……」
「ライラ、ソイツから離れろ!」
俺の言葉に、ビクッとしてフード男から手を放す。男はそのままゆらりと立ち上がり、両手を点にかざした。
「魂とは、その人間の思想であり行動であり、言葉である。つまり、あの人の思想も行動も言葉も再現すれば、それはあの人が存在すると同義! 言葉一つ再現すれば言葉一つ分あの人はそこに居る行動一つ再現すれば行動一つ分あの人はそこに居るそして、思想や言葉や行動を完全に再現することができたなら……そこに存在するのはもはやあの人そのものなんだ!!」
フードの男の体から、突然強烈な殺気が放たれる。俺も、アスナやアリス、ユージオもとっさに剣を構える。
「は、ははは……!こうしている間にも、どんどんあの人のことが、お前らの記憶が頭に流れ込んでくる!あの人の言葉、思考、仕草、表情。そのすべてが俺のものに……いや、違う……。俺を贄として! あの人そのものが!
今ここに! 顕現するんだッ!」
「さっきまでのヤツじゃないな……すごくイヤな感じがする。お前は……」
ライラも、一呼吸遅れて剣を構える。
「――ヘイ、親愛なるブラッキー。戻ってきてやったぜ?」
