「ソードアート・オンライン ヴァリアント・ショウダウン」メインストーリー ウェブ小説版

4章-前半

「――ヘイ、親愛なるブラッキー。戻ってきてやったぜ?」

何度、その忌まわしい声を聞いただろう。

「そんな、この威圧感……こんなことって……」

アスナが震える声でつぶやく。そう、あり得ないはずなんだ。PoHがここにいるなんてことは。

だが、この声も姿も、殺気も……紛れもなく俺たちが知っているPoHのものだ。偽物がPoHに抱いていた強烈な印象に、俺たちの記憶が加わり……再構成されてしまったんだ。

「さぁて、ブラッキー。再戦のお時間だぜ。アンダーワールドでの予言は外れちまったようだな」

「ああ、残念ながらな」

「くくく、こいつは運命だ。オレは、オレ自身の手でオマエを殺す。そういう運命ってことだ」

「そうだな。結局、俺は自分の手でお前を倒すしかないらしい」

「意見が一致したようでなによりだ、勇者サマ」

そう言って、ギロリと視線を動かす。

「《閃光》に《A.L.I.C.E.》……他にも何人かいるな。役者もそろってるじゃねぇか。それじゃ、始めようぜ」

PoHが友切り包丁を掲げて、まるで宣誓でもするように叫ぶ。

「イッツ――ショウ・タイム!!!」

派手な開幕とは裏腹に、俺とPoHは互いに動かない――いや、動けなかった。うかつに攻撃すれば、後の先を取られてカウンターを食らう。二人の間にある空気に緊張が高まり、互いに動かないままジリジリと時間が過ぎていく。

その緊張を破ったのはライラだった。音もなくPoHの背後に回り込み、急所の心臓を狙って短剣を繰り出す。常人なら反応することも難しい、必殺の一撃だ。だが、その攻撃をPoHは振り向きもせずに受け止めた。

「チョロチョロするんじゃねぇよ!」

「きゃあっ!」

友切り包丁の一振りで、ライラが吹き飛ばされて廃墟の壁に激突する。

「後でゆっくり料理してやるから、おとなしく待ってな」

恐るべき視野の広さと反応速度。だが、背後のライラを攻撃したことで、わずかにPoH体勢が崩れた。そのわずかな隙を突き、一瞬で間合いを詰める。走りながら左手にも剣を装備し、ソードスキルを放った。

ギィン!

振り下ろした渾身の一撃を、PoHの友切り包丁が受け止める。だが、これで終わりではない。

「うおおおおっ!」

そのまま片手剣の七連撃スキル《デッドリー・シンズ》をPoHにたたき込んだ。わずかに体勢が崩れていたPoHは、俺の攻撃を受けて少しずつ後ずさる。刃がぶつかった衝撃で、フードが外れPoHの顔が明らかになった。

――笑っている!?

だが、ここで止めることは出来ない。七撃目が終わり、スキル使用後の硬直が始まる直前、左手でもう一度ソードスキルを放つ。アンダーワールドでも使ったスキルコネクトだ。これなら、PoHにもダメージを与えられるはず。

「そいつは一度見たぜ、ブラッキー」

そう聞こえた瞬間、目の前からPoHの姿が消えた。左手の攻撃がむなしく空を切る。ついで視界がグルン、と回転し俺は地面にたたきつけられていた。

「ぐはっ……」

背中からまともに地面に落ち、一瞬呼吸が止める。ゆがむ視界の中、包丁の刃が俺の喉元に突き立てられる。かわそうにも、先ほどの衝撃で体が動かない!

「くっ……」

しかし、その刃は俺の喉に届く寸前に軌道を変え、皮膚をわずかに切り裂くだけに終わった。体が動くようになり、急いで立ち上がる。

目の前には、俺をかばうようにユージオが立っていた。

「ほお……」

PoHが感心したように唸る。包丁を握った右手から、わずかに血が流れていた。

「キリト、大丈夫かい?」

「ああ……助かったよユージオ」

「そいつは……知らない顔だな。新しいお友だちか?」

「お前は知らないだろうな。ユージオは俺の大事な相棒だ」

「相棒ねえ。ククク……そんなのが周りにいなけりゃ戦えないのか、黒の剣士サマよぉ」

PoHのさげすんだ口調。だが、その言葉で俺は思い出した。俺は一人で戦っているんじゃない。仲間たちに助けられて、強敵に打ち勝ってきたんだ。

「ああ、その通りだ。ユージオや、アスナやアリスや……他のみんながいるから、俺は戦えるんだ。俺はひとりじゃない」

「そうよ。キリトくんは一人じゃない」

「私たちも共に戦いますよ、キリト」

「ああ、私も戦うぞ」

アスナとアリスが武器を構え、ライラも立ち上がる。そしてライラがPoHに向かって突進した。

「こいつからミハエルのことを聞き出してやる!」

短剣と包丁の刃がぶつかり、火花が散る。それがPoHとの戦いの口火となった。

PoHは、周囲の仲間たちにかまわず、俺一人を集中攻撃する。その動きは、アンダーワールドでの強さをさらに上回っており、防戦一方となってしまう。

「どうした、黒の剣士サマよぉ! その程度か!?」

「くっ……」

PoHが下から振り上げた剣を、かろうじて受け止める。その信じられない膂力に、弾き返そうとしても動かない。ジリジリと押され、刃が俺の喉に近づく。

「キリトくん!」

だが、喉に食い込む寸前で、アスナのPoHの聞き手を狙った攻撃が俺を救った。攻撃は買わされたものの、PoHは体勢を崩して俺から離れる。

「ありがとう、アスナ」

「うん」

体勢を崩したPoHにユージオをアリスが迫る。二人を迎撃し、再び俺に迫ろうとするが、そこにはライラが割り込む。

「どいつもこいつも……邪魔をするんじゃねぇ!」

戦いは、少しずつ俺たちの優勢となっていった。PoHの執念が乗っているかのよう一撃は脅威で、避けきれない一撃が俺のHPを奪う。だが、すさまじい膂力で繰り出される攻撃には、隙が出来る。そこにユージオたちの攻撃が決まり、俺たちは少しずつ優勢になっていった。

「くっ……クソ、オマエらごときに……」

「私は……ミハエルを取り戻す! はあああっ!」

「ぐっ……」

全身に傷を負い、動きの鈍ったPoHにライラの一撃が決まる。それでもなお立ち上がるが、最後は俺とユージオの剣が同時に胸を貫いた。

「ガハッ……!!」

胸から大量の血を流し、PoHは膝を突いた。友切り包丁を杖にして、かろうじて体を支えている。

「お前の負けだ、PoH」

「ク、ハハハハ……そうだ、それでこそ黒の剣士……。だが、これで終わりじゃねぇ。オマエらの記憶にある限り、オレは何度でも甦る……それまで、オレ以外のやつに、ヤられるんじゃねぇぞ!――キリトォ!!」

そう言い残すと、PoHは地面に倒れ伏した。それと同時に、周囲を覆っていた禍々しい気配も消えている。残されていたのは、倒れてピクリとも動かない男の姿だった。

「終わったか……」

強敵を倒した安堵感で、体中の力が抜ける。

「そのようですね。そこの男からも、先ほどの邪悪な気配を感じません」

「手強かったね。キリトは、あんな相手とずっと戦っていたのか」

「もう二度と戦いたくない相手だよ。みんなの援護がなかったら、勝てなかった……」

そのとき、PoH……いや、フード男の手がぴくりと動いた。

「キリトくん、まだ意識が!」

 

アスナが慌てて、一度納めた剣を抜く。だが、この気配は……。

「う、うう……」

フードの男はゆっくりと起き上がると、ボロボロになった自分の装備を手で触って確かめる。不思議と、PoHに負わせたはずの傷は治っていた。

「……まさか、とは思うけど、あの人が負けたのか」

「ああ、そうだ」

俺の言葉に、フードの男はガックリと肩を落とした。

「今度こそ話してもらうぞ!」

ライラが駆け寄り、肩を揺さぶる。その勢いに押されたように、男は力なく頷いた。

「オレは全てを失った。もうどうでもいい」

「それなら話してくれ! ミハエルは今どこに居るんだ!」

「ミハエル……ああ、このゲームを作ったとかいうアイツか」

「そうだ! その子は私の弟なんだ……どこにいる!」

「ソイツなら、確かセントラル……」

そこまで話したとき、ドンッと地面に衝撃が走った。転ばないよう足を踏ん張る。同時に黒煙が上がり、俺たちの視界は闇に包まれた。これは……煙幕か!?

「何者かの襲撃です!」

アリスの警告を聞くまでもなく、これは敵の攻撃だ。だが、PoHとの戦いでは姿を見せなかったのに、どうしてこのタイミングで……? 

「ちょいとしゃべりすぎだぜ、フード野郎。コンプライアンスって言葉知ってんのか?」

立ちこめる煙の中から、野太い男の声がする。

「あんたら、やるねえ。さっきのバトル結構すごかったぜ?」

「誰だ!」

その言葉には応えず、そいつは「よいしょ」と地面から何かを持ち上げたようだ。まさか、今のは……。

「これ以上ペラペラしゃべられちゃあ、こっちもヤバいんでね。悪く思わないでくれよ?」

やはり、フード男を回収する気だ。あいつを連れて行かれては、ミハエルのことを聞き出せない。

「待て、待ってくれ! まだミハエルのことを聞いていない!」

声のする方向へ、剣を突き出す。だが、闇雲に攻撃したところで、相手を捕らえることはできない。この煙さえなければ……。

「アリス、僕たちで風素を」

「――了解です!」

「「システムコール!」」

ユージオとアリスの声が重なる。その瞬間、激しい風が吹き上がり、煙幕を消し飛ばした。

「なっ……そんなのアリか!?」

煙の中から、大男が姿を現した。その方にはフード男を担いでいる。その声からは、先ほどまでの余裕は失われていた。

「くそ、油断した。オレまで説教喰らっちまう!」

そう言って廃墟の奥へと駆け出した。その前にライラとアスナが立ちはだかる。

「逃がすもんですか!」

「ミハエルのことを教えろ!」

二人の必殺の攻撃が放たれる。だが男は巨体に似合わない華麗なステップで斬撃をかわした。人間をひとり担いでいるとは思えない身のこなしだ。

「あんたたちもいい腕だ。ここで手合わせしてえのはやまやまだが、それじゃ命令違反になっちまう。また会うことがあれば、その時に存分に戦ってやるよ」

男は空いた方の手で何かを取り出すと。地面に投げつけた。そこから再び黒煙が巻き上がる。相手の腕を考えると、この視界で無理に追いかければ、返り討ちに遭いかねない。

「すまない、ライラ。もう少しで情報を聞き出せたのに……」

「いや、捕まえられなかったのは私も一緒だ。せっかくユージオとアリスが煙幕を払ってくれたのに……」

「相手の顔は覚えました。次は逃がしません」

アリスが決意の表情で、男が逃げていった方向を見る。

「でも、キリトが倒した相手、最後に何か言ってたよね?」

そうだ。ユージオの言葉で思い出したが、大男が現れる前に、何か言いかけていた。

「確か、セントラルって言っていたような。知ってる神聖語だから、耳に残っていたんだ」

「ふむ、セントラル・カセドラルと同じセントラル、ですね。」

セントラル。単語の意味だけ考えれば、中央……か。

「ライラ、セントラルって単語に聞き覚えはあるか?」

「そうだな……すぐには思い浮かばない」

ライラが残念そうに首を振る。そううまくはいかないか……。

「でも、何かミハエルと関係があるはずだ。ぜったい突き止めてみせる!」

煙幕が張れた後には、偽PoHに操られていたプレイヤーの姿もほとんど残っていなかった。バトルロイヤル大会のライラと同じように、ログアウトさせられたのだろう。だが、一人だけ、女性プレイヤーが倒れた状態で残っていた。気を失っているようだが、HPはゼロになっていない。それが原因で、フィールドに残っていたのだろうか。

「……えっ、まさか!?」

それまでセントラル、セントラル……とつぶやいていたライラが、その女性を見て顔色を変える。慌てた様子で駆け寄って抱き起こした。

「か、カエデお姉ちゃん!?」

「えっ、ライラの知り合いだったのか!?」

「ああ、ちょっとな……でもまさか、アイツにやられてたなんて。ミハエルだけじゃなく、カエデお姉ちゃんまで……」

その様子だと、ずいぶん親しい間柄のようだ。それなら、偽PoHたちのことも聞き出せるかもしれない。

気を失ったカエデを連れて、俺たちは拠点にしているログハウスに戻った。ここはクロスエッジを探索中にアスナと二人で見つけた場所で、周囲を深い森に囲まれている。街から距離があるせいか、所有者はいなかった。アインクラッド二十二層のログハウスとは外見も間取りも異なるが、入ったときに香る木の匂いが同じで、思わずアスナと顔を見合わせてしまった。

気を失ったカエデをベッドに寝かせて、少し休憩を取った。連戦になった上、あまり情報が得られなかったことでどっと疲れが出てしまったようだ。

しばらくして、ようやく少し元気が出てきた頃、カエデに付き添っていたライラが喜びの声を上げた。

「カエデお姉ちゃん! 大丈夫!?」

「んん……」

カエデが目を覚まし、ゆっくりを体を起こす。万一洗脳が残っていたら、と警戒したが、どうやら問題なさそうだ。

「あ、奏ちゃん……? ここは……どこ?」

少し不安そうに周囲を見回す。大勢の見知らぬプレイヤーに囲まれているので、不安は当然だろう。

「大丈夫、ここは仲間の家だ」

「そう……わたし、確かさっきまで誰かと戦っていたような……うっ!」

思い出そうと目を閉じた瞬間、カエデは顔をしかめる。

「無理に思い出さない方がいい。それより、他に痛いところはないか?」

「あ、はい……大丈夫です。あの……」

「こっちはキリト。信用できるから安心して」

ライラはゆっくりとカエデに俺たちを紹介し、今まで起きたことを説明する。カエデは黙って聞いていたが、ミハエルが行方不明、とライラが話したときは驚きの声を上げた。そして、さっきまでの戦闘のことを説明すると、俺たちに頭を下げた。

「わたし、錯乱して皆さんに襲いかかったんですよね……本当にすみません」

「謝る必要はありません、カエデ。悪いのは、洗脳などという卑劣な手段を用いる輩なのですから」

「そうだよ。僕たちも全員無事だったからね」

アリスとユージオの言葉を聞いても、なおも恐縮していたカエデだが、重ねてアスナやライラがなだめたことでようやく落ち着いた。

ライラによれば、カエデはライラたち姉弟とは長い付き合いで、エプシロンの前にクロスエッジを運営していたマシバの社長令嬢とのことだ。クロスエッジの運営にも関わっていて、その縁で二人とは仲がよかったらしい。

「エプシロンに運営が変わってから、カエデお姉ちゃんはやめてしまったと思ってた。おじさんも大変みたいだったし」

「マシバから変わっちゃったのは残念だけど、いちプレイヤーとしてクロスエッジは大好きだから」

「カエデお姉ちゃん……」

「ミハエルくんも、絶対に救い出そうね! 私に何ができるかわからないけど……できることなら何でもするから」

会社が切り替わる前とはいえ、運営に関わっていたというカエデがいると、色々とわかることもあるだろう。偽PoHからはほとんど情報が得られなかったが、かろうじて糸がつながった気がする。

「それで、さっそくだけど……セントラル、っていう単語に心当たりはないかな」

偽PoHが言いかけたセントラルという言葉。今は、これがミハエルにつながる唯一の手がかりだ。

「セントラル? うーん……」

カエデは目を閉じ、眉間に指を当てる。考えるときのクセなのかもしれない。そのまましばらく考えていたが、やがてパッと目を開いた。

「あ、もしかしてセントラル・ブロックのことでしょうか」

「セントラル・ブロック?」

「はい。クロスエッジのゲーム内部にある、バーチャルオフィスです。開発や実装なんかもできる本格的なオフィスで、リアルより居心地がいい、なんて入り浸ってるスタッフもいたくらいです。ある程度の権限を持った人には、個室も用意されてましたし」

「クロスエッジの中に、そんな場所が……。個室もあるとなると、確かに開発も捗りそうだ」

俺たちも、ALOにログインして学校の課題を片付けたりするもんな。好きな位置にモニターを置けるし、物理的なデスクよりよほどやりやすかったりする。

「それなら、ミハエルもそこに居るかもしれないのか!」

ライラが勢い込んでカエデに尋ねる。カエデはよしよし、となだめるように頭を撫で、

「その可能性があるかも。わたしがスタッフだったときも、権限によって入れない場所がたくさんあったし。それに、クロスエッジの中は怪しいところもけっこう見たけど、ミハエルくんは見かけたなかったしね」

「そうか……ついに、ミハエルの居場所が……」

「エプシロンの運営が黒幕なら、そこにいるかもしれないしな。しかし……」

カエデの言葉に、少し気になるところがあった。

「怪しい場所を見たって、どういうことだ?」

「あ、それはですね……」

カエデはえへへ、と曖昧な笑みを浮かべる。

「クロスエッジの運営を離れてからも、ゲームをしているって話しましたけど……なんか変な噂があったじゃないですか。幽霊が出るとか、痛みが強いとか……」

「ああ、俺たちがクロスエッジを始めたのも、幽霊の噂なんかを聞いたからだ。カエデには、おかしなことはなかったか?」

「ええと……まあ、あったと言えばあったけど……」

「えっ、カエデお姉ちゃんにも、あんな大変なことが?」

ライラが心配そうにカエデの手を取る。

「ううん、大したことはないけど、少し前にバトルロイヤル大会に出て、それからちょっと記憶が飛ぶ……みたいなことが何回か。でも、そのときは疲れてたし、寝落ちかな」

「記憶か……」

確か、記憶がなくなってる、みたいな話から聞いたな。

「本当に大丈夫なのか?」

「うん、ここしばらくは起こってないし、平気だよ」

「それならいいけど……」

ライラはまだ心配そうだが、カエデは先を続けた。

「それで、いろいろ調べてみたんです。もちろん内部データにアクセスする権限はなくなってましたけど、なんやかんや試したら突破できちゃって」

「なんやかんやって……」

軽い調子で言ってるが、かなりすごいことだぞ、それは。

「それで、何がわかったんだ?」

「PAAC……だったかな。そのシステムについての資料を見つけました。バトルロイヤル大会で実験するって。それで、わたしも出場してみたんだけど……」

「なるほどな」

「カエデお姉ちゃんも、クロスエッジのこと、調べてくれてたんだ。ミハエルの情報も教えてくれたし……本当にありがとう」

ライラの目には涙が浮かんでいる。

「まあ、ミハエルくんのことは、まだそこに居るかどうかわからないけどね。でも、変わってなければ中の構造もわかるし、力になれるよ、ライラちゃん!」

「うん!」

これで、一歩前進だ。次はセントラル・ブロックに乗り込み、黒幕を突き止める。おそらく、例の凄腕の大男や偽PoHもいるだろうから、ソイツらと戦うことも考えておかないとな。

セントラル・ブロックの調査は、ライラとカエデの体調を考えて数日後に行うことにした。今のところ問題ないとはいえ、PAACの激しい痛みを受けて体調を崩してもおかしくない。俺も、まさかPoHと戦うことにあるとは思っていなかったので、かなり消耗しているしな。

カエデは、元々ライラと仲がよかったこともあって、アスナやアリスたちとも馴染んでいるようだ。ユージオも、カエデと普通に話している。こうして見ると、アンダーワールドで一緒にいたときのユージオと何も変わらない。クロスエッジのPoHが持っていた殺気や強さも、本物とほぼ変わらなかったし、やはりMRSはすごい技術だ。ミハエルやライラが望む方向に進化していけば、それこそ革新的なゲームが生まれるだろう。だが……同時に悪用される危険性も秘めている。それは、絶対に止めなければならない。

PoHとの戦いから三日後、俺たちはセントラル・ブロックの調査のために集合した。時刻、念のため会社の営業時間を外して22時。集まったのは俺とアスナ、ライラ、そしてカエデの四人だ。

「よし、全員揃ったな。それじゃ道案内は頼んだぞ、カエデ」

「あれ、この間の人たちは? こないの?」

「ああ、ユイにはちょっと頼みごとをしている。アリスとユージオは、用事があるみたいなんだ」

「そうなんですね。あ、でもでも、人数が少ない方が行動しやすいかもしれませんね」

カエデはうんうん、と頷いている。確かに、運営側の施設に侵入するからには、あまり大人数で目立ってしまうのもよくない。

「それじゃあ、出発しましょう! セントラル・ブロックは、ここからそんなに遠くない山の中腹にあります」

「もっと人里離れた場所にあるのかと思ったけど、案外近くにあるのね」

「街から遠いと、何かと不便ですし」

疑問を投げかけたアスナも、なるほどと頷く。バーチャル世界の中でも、移動するのには時間がかかる。便利な街の近くに作るというのも納得だ。

「ここから近いなら好都合だ! さっさと行って、ミハエルの居所を突き止めよう!」

その場所は、確かに街からほど近い山の中だった。周囲にダンジョンなどもなく、プレイヤーが来ることはあまりないだろう。確かにここなら、人目につくこともない。

「ここが入り口なの。ここに手を当てて……」

カエデが、ただの岩壁にしか見えない場所に手を当てる。しばらくすると、ピピッと電子音がして、音もなく岩壁が消えた。壁があったところにはぽっかりと穴が開き、中には明らかに人工的な、ロビーと似た感じの通路が見える。

「おおっ、なんの目印もないのに!」

ライラが喜びの声を上げる。カエデが人差し指を口に当てて「しーっ!」とすると、慌てて口を押さえた。ライラが慎重に中を覗く。やがて、顔を入り口に突っ込んだまま手招きした。

「入り口の近くには誰もいないみたい。ほら、誰か来る前に、早く!」

そう言いながらカエデは中に入った。続いてライラ、アスナ、俺の順番で入る。俺が入るとすぐ、音もなく入り口が塞がった。

セントラル・ブロックに入ると、長い廊下が奥へと続いていた。途中に扉がいくつかあるが、人の話し声などは聞こえない。ずいぶん簡単に、侵入できてしまったな。

「よかった、誰もいなくて。夜を選んで正解だったね」

「ああ、そうだな」

冷静に返事したつもりだったが、アスナには俺の不信感を悟られてしまったようだ。「どうしたの、なにか気になることでも?」

「アスナには隠せないな……ちょっと簡単過ぎると思ってさ」

「簡単すぎる……確かに、そうかもしれないわね」

「ゲームに限らないけど、開発現場ではデータの流出が一番怖いんだ。だから、データにアクセスできる人間をかなり厳重に管理している」

「エプシロンが、たまたまずさんな管理をしてたってこと?」

「そうかもしれないが、エプシロンは大企業だ。すでにプロジェクトから外れたカエデが簡単に入れるっていうのは……」

「どうしたんだ、キリト、アスナ。 先に行くぞ」

すでに進み始めていたライラとカエデが、奥から呼びかける。まあ、本当に管理が杜撰な企業ってだけならチャンスなんだ。警戒を怠らないように進もう。

廊下は思った以上に長く、この場所はかなり広そうだと感じる。曲がり角や十字路も多く、まるでダンジョンだ。しかしカエデは、迷う様子もなくスイスイと進んでいく。頼もしい限りだが、もう少し警戒してもよさそうに思うが……。

やがて、廊下の突き当たりまで来た。そこにはエレベーターが一基あるだけだ。

「カエデお姉ちゃん、このエレベーター、動いていないみたいだけど……スイッチを押しても反応しないし」

「この下は、かなり上位の権限がないと入れない管理エリアです。わたしも入ったことはありません」

「それじゃ……どうするんだ?」

訝しがるライラに、カエデはにっこり笑って、何かを操作した。見たところ、自分のステータスウィンドウのようだ。すると、彼女の右手に長剣が装備された。

「武器を使うの」

そう言ってカエデは剣を振りかぶる。えっ、とライラが驚きの声を上げた。まさか壊すつもりか?いくらなんでもそれは……何をする気なんだ?

カエデはその剣で、エレベーターのスイッチを押す。切っ先が触れた瞬間、ボタンが反応し、下のランプがともった。

「ええっ!? なんでその武器で?」

「実は、これわたしの父の部屋から持ってきたんだ。エプシロンに委譲する前、父はクロスエッジの管理責任者だったから。そのアクセスキーがこの剣に登録されてるんです」

「なるほど……」

「わたしたちがいた頃は、自分のお気に入りの武器やアイテムをカードキー代わりににして出入りしてたんです。エプシロンになって変わったみたいだけど、だからこそこのアイテムの権限は剥奪されてないかなって」

もし剥奪されてたらアウトでしたけど、とカエデはペロッと舌を出した。確かに、エプシロン側も、まさか武器にアクセスキーを仕込んでるなんて思わない……か。

到着したエレベーターに、カエデ、そしてライラが乗り込む。俺とアスナも続いた。カエデの剣がボタンを押し、俺たちは下のフロアへと運ばれる。

「……ミハエル、この下にいるかな」

「きっといると思う。だって、ミハエルくんのこと知っている人が、運営とグルだったんだよね?」

「うん、そうだよね」

カエデがライラを元気づけるのを聞きながら、俺は武器の準備をする。普通のゲームなら、深夜の間も運営には人が残っているはずだ。もちろん、バーチャルではなくリアルのオフィスにいる可能性が高いが、それでも油断できない。それに、ここにミハエルが捕らわれているなら、見張りがいないなんてことはないだろう。

だが予想に反して、下の管理フロアも上の階と同じように静まりかえっていた。これだけ静かってことは、ミハエルはいないのだろうか。それとも……PoHの時と同じく何かの罠が仕掛けられているのか。

カエデは、今まで同様に迷う様子もなく管理フロアを進んでいく。時々、廊下の途中や扉のところで、剣によるアクセスチェックを行っている。カエデによれば、ここにはゲーム内部からシステム全体を統括できる管制室があるために、かなり厳しいセキュリティが入っているとのことだ。さらには、テストデータのアップロードミスなどをなくすため、部屋ごとにアクセスできるサーバーが異なるらしい。

「カエデお姉ちゃんは、今でもそんなに詳しいんだな。ミハエルを助けて、エプシロンを追い出したら、またカエデお姉ちゃんに運営を手伝ってほしい!」

「ああ、うん……そうなったら、ぜひ」

カエデは、なぜか微妙に困った顔で苦笑を浮かべる。

俺とアスナは、いつどこから敵に襲われてもいいよう、警戒を怠らない。ただ、もちろん今回の陰謀に関わっていない一般社員もいるかもしれないから、その人たちを攻撃しないようにだけ、気をつけないと。

「このエリアに来たことはないけど、見た感じここが一番セキュリティが厳しいところです」

そういって、カエデは一つの扉を指した。扉に赤や青のラインが引かれているが、それがセキュリティレベルを示すのだろう。感覚を集中しても、人の気配や話し声などは聞こえない。ゲーム中の宿屋と同じく、部屋の中の気配が外に伝わらない仕組みなのだろう。

「……ミハエルがいるなら、敵もいるよな。でも」

ライラの表情が緊張でこわばっている。

「そんなの……大丈夫だ。ミハエルがいるなら、絶対に助け出す!」

「そうだな。じっとしていても、見つかるリスクが上がるだけだ。ここまで来たんだから、突っ込むべきだ」

俺の言葉にアスナも頷く。カエデもそんな俺たちを見て、頷き返した。

「じゃ、開けるよ」

カエデの大剣が、そっと扉に触れる。わずかな電子音がして、扉がサッと開いた。

部屋の中は薄暗く、正面のコンソールから漏れるわずかな光が唯一の光源だ。その光に照らされて、コンソールの前に誰か座っているのがわかる。表情はわからないが、突然の侵入者に驚いているようだ。

「ミハエルっ!」

ライラの声に、部屋の中の人物が立ち上がった。

「ね……姉さん?」

まだ若い、少年の声。その声を聞いたライラの双眸から、大粒の涙がこぼれ落ちる。その涙も拭わずに、ライラは少年の胸へと飛び込んだ。

「ミハエル……ミハエルーーーっ!!!」

勢いよく飛び込んできたライラを、ミハエルが受け止める。ライラはそのままミハエルの胸に顔を埋め、嗚咽を漏らし始めた。

「本当に、ミハエルがいたのか……思ったより、ずっとあっさり見つかったな」

「でも、成功するときってこんなものじゃない?」

「確かにそうかもな」

アスナも、ミハエルが見つかって嬉しそうだ。これでミハエルからイプシロンのことを聞き出せば、ヤツらの真の狙いがわかるだろう。だが、ここで割り込んで、姉弟の再会に水を差すほど野暮じゃない。二人が落ち着くまで、少し待つべきだな。

「ホントにミハエルだ……よかった、無事でいてくれて」

「うん、僕は大丈夫だよ。心配かけたよね、ごめんね姉さん」

「ううん……迎えに来るのが遅くて、ごめんね……」

「そんなことないって。僕は元気だから、泣き止んで」

「うん……」

「本当に、どこも痛くない?」

「うん、大丈夫。この通りピンピンしてるよ」

「よかったぁ……あっ!」

しばらくすると、ライラが少し恥ずかしそうに、顔を上げた。

「あの……ええと、この子が弟の空。ミハエル」

そう言って俺たちに紹介すると、今度はミハエルに俺たちのことを説明する。

「ミハエル、この人たちはお前を救い出すだめに、すごくすごく協力してくれたんだ」

「そうだったんですか。すみません、いろいろご迷惑をおかけして」

ミハエルはそう言って深く頭を下げた。ライラの弟だからまだ中学生くらいのはずだが、物腰が柔らかくて落ち着いた雰囲気だ。

「迷惑なんてそんなことないよ。俺はキリトだ、よろしくな、ミハエル」

「キリトさんですね、よろしくお願いします」

「わたしはアスナ。ミハエルさん、本当に無事でよかったわ」

「アスナさんも、ありがとうございます」

俺たちと互いに自己紹介を終えると、ミハエルは一歩離れたところで見ていたカエデに気づいた。

「あっ、カエデさん?」

「うん、久しぶりだね、ミハエル」

「カエデさんも手伝ってくれたんですか? ありがとうございます」

「わたしは、大したことはしてないよ」

カエデが笑って、軽く首を振る。だがライラが「そんなことないよ!」と、ほとんど叫ぶように言った。一度止まった涙が、また目尻に滲んでいる。

「カエデお姉ちゃんのおかげで、ここまで来られたんだから!」

「もう、ライラちゃん……ライラちゃんが頑張ったから、ミハエルを救えたんだよ」

「うん、でも……」

ライラは駄々っ子のように首を振り、目尻の涙を拭った。ミハエルが助かったことで、どうやら感情があふれているらしい。そこからしばらく、またミハエルがライラを慰めるターンとなった。

ようやくみんなが落ち着いて、あとはミハエルを連れて脱出するだけだ。そう思ったんだが……やはり、そんな簡単には終わらなかった。

「……僕はここから出られません。僕には、エプシロンが仕掛けた拘束がかかっているんです」

「拘束……? それを解かないと、部屋から出られないのか?」

ライラが泣き出しそうな顔で尋ねる。ミハエルも悲しそうに頷いた。

ミハエルの話によれば、ミハエルの体にはPAACを悪用した、いわばロックが仕掛けてあるとのことだ。そのままこの部屋を出ようとする、あるいはログアウトしようとすると、耐えられないほどの痛みが走る。さらに、それでもミハエルが強行した場合には、その痛みをクロスエッジ中のプレイヤー全員に与える、と脅されたらしい。だからミハエルは、ログアウトもできずに、ずっとこの部屋に閉じこめられているのだ。

「そんな……それじゃ、ミハエルを助けられないじゃないか!」

ライラは取り乱すが、ミハエルは落ち着いていた。

「落ち着いて、姉さん。ちゃんと対策は考えてあるんだ。僕はここで、ずっとゲームデータの制作をさせられてたんだけど、アイツらの目を盗んでPAACの解除パッチを組み上げたんだ。これを適用すれば、必要以上の痛みを発生させないようにできる。クロスエッジでPAACを悪用できなくなるんだ」

「ほ、本当か! よかった……」

ライラが今度は脱力し、ミハエルに寄りかかる。感情の上下が激しくて、体力も消耗したのだろう。

「なるほど、だからそんなに落ち着いていたのか。でも、そんなすごいパッチを、相手にバレないように作るとは……聞いてはいたけど、君は本当にすごいんだな、ミハエルは」

「そうだ。私の弟は、すごくすごい」

ライラが誇らしげに胸を張る。

「いえ、大したことはないですよ」

「なら、そのパッチを適用すれば、無事にミハエルさんも脱出できるのね」

「はい……でも、それをするには少し問題があるんです、アスナさん」

「問題?」

「この部屋は、現在稼働中のゲームサーバーから隔離されているんです。だから、ここからアクセスして、パッチを適用することができなくて」

「ああ、カエデが言ってたな。部屋ごとにアクセスできるサーバーが違うって」

「そう、だからここからパッチを当てることはできないんです。たとえ僕が管理者権限を持っていても。だから、基幹システムのあるコントロールルームに行かないといけないんです」

「管理者権限……あ、カエデお姉ちゃんが持ってる?」

「ごめん、さすがにコントロールルームにアクセスは難しいかも」

カエデが首を振る。

「大丈夫。僕の管理者権限は優先度が最高位設定されているので、他人が剥奪することはできない。でも、委譲はできる」

「委譲……」

「解除パッチは、アイツらに見つからないように偽装してあるんです。これなんですけど」

そう言うと、ミハエルの右手に大剣が装備された。見たところ、なんていうことはないただの武器に見える。

「ふふ、ミハエルもやっぱり覚えてたのね。武器に解除データなんかを仕込む遊び」

「ええ、これならエプシロンにバレないと思って。これは《ペインキラー》。これを装備すれば、僕の管理者権限が自動的に委譲されます」

「なるほどな……」

この剣を装備し、管理者権限を使ってコントロールルームに入る。そして、剣に仕込まれた解除パッチを、クロスエッジの本番サーバーに適用すれば、PAACの悪用が止まる。そう流れを確認すると、ミハエルは頷いた。

「なら、私が行く。すぐにミハエルを助け出してやるからな! みんなは、ここでミハエルを守ってくれ」

そう言ってライラがミハエルに手を伸ばす。その手を、カエデがそっと止めた。

「待って、ライラちゃん。私に行かせてくれないかな」

「カエデお姉ちゃん?」

「コントロールルームは、一番セキュリティが高い場所なの。危ないし、他の人がいるかもしれない。でもわたしなら道を知ってるし、安全にたどり着ける。ライラちゃんは、ミハエルのそばにいてあげて」

「……そういうことなら」

カエデは熱心な口調でライラを説得する。そこには、有無を言わせない圧力のような者があった。ライラは素直に頷き、手を引く。

カエデの言うことはもっともだし、ライラにはミハエルのそばにいてほしいという気持ちもわかる。だが、何かが変だ。まるで、そうしなければいけない理由があるような――。

「それじゃ、よろしくお願いします、カエデさん」

ミハエルがカエデに剣を渡す。カエデはその剣をしげしげと眺めたあと、二人に頭を下げた。

「うん、ありがとう二人とも。信頼してくれて」

にっこり笑って、カエデは礼を言う。次の瞬間――その顔が一変した。穏やかな笑みが消え、そこには嘲笑が現れる。

「そしてバカね、あなた達とはここでお別れよ」

「えっ!?」

ライラは、なにがなんだかわからない、という表情だ。それは、俺もアスナも同じだ。カエデの言葉を頭の中で反芻し、ようやく……彼女が裏切ったことを理解した。

「ミハエルを解放なんてさせないわ。管理者権限もわたしがもらう」

「ど、どうして……」

まだ呆然としているライラを押しのけ、俺とアスナはカエデの大剣を奪うべく攻撃を繰り出した。相手の武器を弾くディザーム攻撃。だがそれも、カエデによって防がれる。

「渡さないわよ。それにもう、管理者権限もわたしに委譲された」

カエデはこちらに向けて剣を構えながら、ジリジリと入り口へ下がる。その構えには隙がなく、うかつに攻撃できない。そして、さらに悪いことに、扉から見覚えのある大男が入ってきた。

「よくやった。お手柄だぜ、カエデ」

「お前は……」

偽PoHを担いで逃げた、あの大男だ。男はカエデの大剣とミハエルを交互に眺める。

「はっはっは、まったく油断も隙もねえな。こんな厄介なシロモン作っていたとはよお」

「どうして……なんでカエデお姉ちゃんが、ソイツと……」

ライラは、懇願するような目でカエデを見る。だがカエデはじっと唇をかみしめたまま、返事をしなかった。

「ターゲットをおびき出した上に、ミハエルが作ったパッチも奪った。こりゃボーナスを期待してもいいかもな!」

「お姉ちゃんが裏切るなんて……そんな、何かの間違いだよね!」

「間違いじゃないわ」

一瞬の間を置いて発生されたカエデの声は、別人のように冷たかった。

「わたしの役割は、ターゲットのキリトをここに引き込むこと。エプシロンの指示でね」

「俺がターゲット……やっぱりか」

「どうして、みんなキリトくんを狙うの!?」

アスナがカエデに詰め寄ろうとするのを、慌てて止める。今近づけば、あの大男が何をしてくるかわからない。

「さあ、キリトを狙う理由は知らない。そこにいるゴライアスに聞いてみたら」

ゴライアス、と呼ばれた大男は、ニヤニヤと笑ってこちらを眺めるだけだ。

「どうして……どうしてなんだ、カエデお姉ちゃん!」

涙声でライラが叫ぶ。

「どうして……?」

再び口をつぐんだカエデだが、重ねてライラに問いつめられ、憎々しげに口を開いた。

「あんたたちが、わたしの家族をメチャクチャにしたからだろ! あんたたちが……ミハエルがクロスエッジなんて作るから!」

「クロスエッジが? なんで、そんな……」

それまで、じっと状況を見守っていたミハエルが、驚いて声を上げる。カエデは、手に持つ大剣をミハエルに突きつける。その目からは涙があふれた。

「クロスエッジの運営を始めてから、お父さんは少しずつおかしくなっていった! 最初はボーッとすることが増えて、少しずつ会話が成り立たなくなって……最後はクロスエッジに取り憑かれたように、開発コンソールを叩いていた! わたしたちが呼びかけても、こっちを振り向きもせずにね! 食事もまともに取らなくなって、そのうち……」

堰を切ったような絶叫が響いた。

「全部、クロスエッジのMRSとかいうシステムがいけないのよ! あんな危険なシステム……あれのせいで、お父さんは現実に戻れなくなったんだから! 都合のよい思い出だけを見せて、人の心を蝕んで……あんたたちがやってるのは、精神的な人殺しなのよ!」

カエデの剣幕に、ライラもミハエルも言葉が出ないようだった。カエデは、ぐいっと涙を拭うと、また先ほどの冷たい声に戻った。

「わたしの役目はここでおしまい。あとはゴライアス、任せたから」

「おう、ご苦労だったな。そこでゆっくり見物してるといいさ」

カエデは、《ペインキラー》を抱いて、ゴライアスの後ろに下がった。ゴライアスは、相変わらずニヤニヤと笑っている。

「ずいぶん回りくどいことをするじゃないか。俺に用事があるなら、前に会ったときに直接言えばいい」

「ここなら誰も見てねえし、逃げられることもねえからな。一応聞いておくが、抵抗せずに着いてくる気はあるか? 別に殺しはしねえよ」

「いや、その気はない」

俺が即答すると、ゴライアスはさらに嬉しそうに相好を崩す。

「そうこなくっちゃな! あんたと戦えるのを、楽しみにしてたんだ」

「キリトくんだけを戦わせないわ。あんたたちがしつこくキリトくんを狙っても、わたしが絶対に守ってみせる!」

アスナが剣を抜き、俺の傍らに立つ。その肩は怒りに震えていた。アスナがそれほどまでに俺を思ってくれていることを、改めて実感する。さらに、ライラもアスナの横で、両手に短剣を構えた。

「私も一緒に戦わせてくれ。キリトを連れてきてしまったのは、私だから。それに……」

ライラがキッとゴライアスをにらむ。

「私は、カエデお姉ちゃんが裏切ったとは今でも思えない。このゴライアスというヤツが、何かしたのかもしれない。だから、コイツを倒せばカエデお姉ちゃんも……」

俺たち三人を見て、ゴライアスはヒュウッと口笛を吹いた。

「いいねえ、あんたたち。そういうのは大好物だ。久しぶりのガチンコ勝負なんでな、全員まとめて相手をしてやる。あっけなく倒れてくれるなよ?」

ゴライアスの言葉からは、あふれる歓喜が伝わってくる。こいつは、純粋に戦闘を……強者との戦いを楽しんでいるんだ。

口火を切ったのは、アスナだった。ゴライアスの言葉が終わる前に、細剣を構えた突進攻撃でゴライアスを攻撃する。ゴライアスはその攻撃を正面から受け止めた。金属のぶつかる激しい音と衝撃。あの突進をまともに受けて、体勢を崩さないとは。

「ハアアッ!」

そこにライラが踏み込んで、両手の短剣による連撃を放つ。アスナをつばぜり合いで押し返したゴライアスは、逆にライラに向かって体当たりした。ライラの短剣がゴライアスの頬をわずかに切るが、かまわずライラに突進する。その攻撃をまともに受けて、ライラは吹き飛ばされた。だが、ゴライアスは突進のせいで体が伸びきっている。

「――っ!」

そこに渾身の一撃をたたき込む。これも体をひねってかわそうとするが、さすがに完全にはかわせず、俺の剣がゴライアスの横っ腹に強打を与えた。

「いつつ……さすがにやるな」

そう言いながら、ゴライアスは体勢を立て直す。痛がる言葉とは裏腹に、大きなダメージは入っていないようだ。

「お前もな。俺たち三人を相手に」

「ああ。最近は上がアレコレうるさかったからな。今日は思う存分暴れられて楽しいぜ」

ゴライアスの戦いぶりは、心の底から楽しそうだった。どんなに鋭い攻撃を受けても立ち上がり、それまで以上のパワーで反撃してくる。右手の巨大なガントレットから繰り出される一撃は重く、防御をしていても骨が軋んだ。さらに、そのガントレットには銃器が仕込まれており、安易に距離を取ると銃撃を食らってしまう。一見パワー特化型に見えるが、状況に応じて戦術を変えられる厄介な戦闘スタイルだった。俺たち三人の全力を相手に、一時は優勢になったほどだ。

だがそれも、長くは続かなった。

俺もアスナも、そしてライラも、強さにおいてはゴライアスに引けを取らない。ガントレットの一撃は重いだけに、連続で繰り出すことは出来ない。銃撃に関しても、三人がバラバラの方角にいれば、全員を撃つことは不可能だ。俺たちは全員で接近戦を挑み、離れるときも全員が別々にポジションを取る。そうすることで、ダメージを最小限に抑えた。

「クッソ……イヤらしい戦い方しやがって」

「全力で戦わないと厳しそうなんでな。もしかして、もうギブアップか?」

「まさか、冗談だろ。まだまだ……!」

全身に傷を負い、それでも立ち上がるゴライアス。だが、残りHPもわずかのはずだ。

「いい加減、キリトくんを諦めなさい!」

アスナの突き出した細剣が、ゴライアスを襲う。先ほどは正面から押し返したゴライアスだが、今度は受けきれずに体勢を崩す。

「キリトくん!」

「おうっ!」

そのアスナとポジションをスイッチし、膝を突いたゴライアスの右肩に剣を振り下ろす。そのまま片手剣の連撃ソードスキルをたたき込んだ。

「ぐ、ぐおおっ……!」

避ける力が残っていないのか、全ての攻撃がクリーンヒットする。だがゴライアスは、それでも立ち上がろうと足に力を込める。恐るべきタフさだ。だが、そこにライラの一撃が決まった。

「ミハエルを、よくもっ!」

ライラの短剣が、一本は右肩に、もう一本は左の脇腹にヒットする。手に持っていた武器を落とし、今度こそゴライアスは地面に倒れた。

「……ふーっ、負けたぜ。強えんだろうな、とは思ってたが、予想以上だった。こんんなふうに負けたのは、いつ以来だ?」

「あんた、負けたってのに嬉しそうだな」

「ああん? 負けて嬉しいわけねえだろ。腹も立ってるよ。勝てなかった自分自身にな」

そう言ってゴライアスは目を閉じる。

「なんか、調子狂っちゃうね」

アスナが苦笑する。敵だっていうのに、やたらと爽やかなヤツだ。これなら、ミハエルやカエデのことも話してくれるかもしれない。

「さて、それじゃ次は話してもらうぞ。まずは……」

だが、つかの間流れた落ち着いた空気は、ライラの叫びによって再びざわついた者となった。

「カエデお姉ちゃんがいない!」

カエデがいない? さっきまでは、ゴライアスの後ろにいたと思ったが……。

「わたしたちが戦っている間に、どこかに行っちゃったのかな」

「カエデさんは、部屋から出てきました。僕のペインキラーを持ったまま」

危害が及ばないよう、部屋の隅にいたミハエルがそう教えてくれた。

「声をかけたんですが、聞こえなかったのか……無視されたのかも。すみません、止められなくて」

「いや、無理もないよ。部屋の真ん中であれだけ戦っていたんだから」

「へっ、アイツも何考えてるのかよくわからねえヤツだったからな。上からはあの女も見張るように言われてた。もしかしたら、なにかデカいことを企んでるのかもな」

倒れたまま、ゴライアスはそう言って笑った。偽PoHの動きといい、向こうも一枚岩ではないようだ。

「とにかくカエデお姉ちゃんを探さないと! なんだか悪い予感がする」

「そうだな。でも、ここにミハエルとゴライアスを残していくわけには……」

俺かアスナ、どちらかが残るべきか。そう考えていると、ゴライアスが不機嫌な調子で言った。

「見くびるんじゃねえよ。戦って負けた以上、その坊主には何もしねえ。動けるようになったら、出ていくさ」

ゴライアスの言葉には、嘘はなさそうだ。

「大丈夫です。僕も、その人は嘘は言っていないと思います。僕が捕まってる間も、乱暴なことはしなかったし。逆に、僕の体調を気遣ってくれることもありました」

「……わかった。ミハエルがそう言うなら信用する」

ライラが渋々頷いた。ライラとミハエルが納得しているなら、それでいいだろう。それよりも、カエデを探す方が先決だ。

キリトたち三人とゴライアスが死闘を繰り広げる中、カエデはひっそりと部屋を出た。ミハエルが何か言っていたが、カエデは斟酌しなかった。どうせ彼は部屋を出ることができないのだから。

無人の管理エリアを慣れた様子で進む。目的の場所は、施設の中央になるコントロールルームだ。ミハエルの管理者権限を手に入れたことで、やっとそこに入ることができる。

「……やっと、このゲームを終わらせることができる」

コントロールルームの扉の前でポツリとつぶやく。その言葉には、強い憎悪の感情がこもっていた。

コントロールルームは、クロスエッジ全体の調整や管理を行う、バーチャルオフィス側の中枢だ。いくつものモニターがあり、様々なエリアの様子が映し出されている。だが、バーチャル側に人が詰めているのは大規模イベントやアップデートが行われるときくらいで、普段は無人だ。カエデはゆっくりとコンソールに近づき、椅子に腰を下ろす。ここでいくつかのコマンドを入力すれば、カエデの目的は達せられる。

わずかに震える手で、コンソールにタッチしようとしたそのとき――

「なにをしているのかね、カエデくん」

カエデの背後から、冷たい声が響いた。

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