「きゃあーーーっ!!!」
カエデの行方を捜そうと扉から出た瞬間、悲鳴が聞こえた。
「カエデお姉ちゃん!?」
ライラが声のする方へ駆けだし、慌てて俺たちも追いかける。カエデの悲鳴……ということは、そこにさらなる敵がいるということだ。ゴライアスが言っていた、「上」の存在だろう。
廊下の先に、開いたままのドアがある。ライラに続いてそこに飛び込むと、クロスエッジの世界には場違いな――ある意味、オフィスという場には合っている――スーツ姿の男が立っていた。そのそばには、カエデが倒れている。
「カエデお姉ちゃん!」
ライラの声に、カエデはわずかに反応した。まだ意識があるようで、ホッとする。
「初めまして、だね。君がキリトくんか。わざわざ出向いてきてくれてありがとう」
スーツの男は、そう言って慇懃にお辞儀をする。
「そういうあんたは誰なんだ」
「自己紹介が遅れて済まないね。私のことはエス、と呼んでくれたまえ。一応、エプシロンの日本支部代表を務めている。今後ともよろしく」
「やっぱり、あんたが黒幕か。だとしたら、よろしくしたい相手とは思えないな」
ライラが抱き起こしているカエデを見ながら答える。アスナも付き添って、ヒールしてくれているようだ。
「カエデはあんたがやったのか。仲間なのに、なぜこんなことを?」
「命令違反をした不届き者に、罰を与えたのさ。この場所で、カエデ君が何をしようとしたと思う? クロスエッジを破壊しようとしていたんだよ」
「嘘だ!」
カエデを抱きかかえながら、ライラが吠えた。
「嘘かどうか、彼女に聞いてみたらどうかね」
「カエデお姉ちゃん、嘘だよね!? クロスエッジを壊すなんて、そんな……」
「……事実、よ」
苦しそうにあえぎながら、それでもはっきりとカエデは答えた。痛みに顔をゆがめ、アスナがさらに治癒魔法をかける。
「どうして、わたしを治療するんだ……」
「あなたが怪我をしているからよ。それに、ライラさんが信頼する友だちでもある」
「違う! わたしは……もう、ライラの友だちなんかじゃ……」
カエデの表情がゆがみ。だが今彼女を襲っているのは痛みではなく、後悔や悲しみだろう。
「カエデお姉ちゃん、どうしてクロスエッジを……?」
「言ったでしょう。クロスエッジが私の家族を壊したからよ。お父さんは、クロスエッジのせいで、あんな風に……」
「君がクロスエッジを破壊しようとしていたのは、筒抜けだったよ。だがまさか、コントロールルームを開けるところまでやるとは思っていなかったけれどね」
慇懃な態度と言葉遣いをしているが、その端々からカエデや俺たちに対するさげすみが感じられる。
「それで、その賢いあんたが俺に会いたがる理由は何だ?」
「この世界……クロスエッジは素晴らしい。MRSの記憶再生システムは特にね。だが、完璧ではない。記憶のデータが少なすぎて、再生が不完全なものがある」
「俺の記憶があれば、それが完全なものになるっていうのか」
「そう……君のアンダーワールドの記憶があれば、ね」
「アンダーワールド……」
やはり、アンダーワールドの情報が狙いだったのか。だが、そこまでアンダーワールドにこだわる理由がわからない。
「正確には、プロジェクト・アリシゼーションについての記憶だ。あの見事な計画の実証データを応用……つまり人を超える高度なAIによって、人間の不完全な記憶を補完することができれば、MRSは真に完成する。そして、MRSとPAAC……痛みと暗示によって、どんな人間でも私に従うことになるのだよ」
エスは悦に入った様子で演説を続ける。だが、そのどこにも共感できる部分はない。ただひたすらに、自己中心的で醜悪なだけだ。
「そんなっ、馬鹿げてる! クロスエッジは、そんなことのためにあるんじゃない!」
「狂ってるわ、あなた……」
アスナとライラも、俺と同じく嫌悪の表情を浮かべている。
「君たち凡人の、貧困な発想力ではそう思えるのかもしれない。だが、計画は着実に進行している。あとひとつ、君の記憶データがあれば完遂するんだよ」
「ライラとアスナの言うとおり、そんな馬鹿げた計画のために、俺の記憶も渡さない。俺たちはミハエルを助け出して、クロスエッジを元の正常なゲームに戻してみせる」
「凡人の視野の狭さには、困ったものだ」
そういうエスの言葉は、ちっとも残念そうに聞こえない。
「ということは、あんたをぶっ潰せば、この馬鹿げた計画は止まるってことだな」
「そうかもしれないね。もっとも、君たちにそれができるとは到底思えないが。 まぁ、やるだけやってみたまえ。」
「いいことを聞いたぜ」
そう言って俺が剣を構えるが、エスは馬鹿にしたように鼻で笑う。
エスは俺たちをぐるっと見回す。
「君たちに後れを取ることはないが……ふむ、少々面倒ではあるな。」
「カエデ君、もう一度私に協力しないか?」
「……なんであんたなんかに」
「過ぎたことにこだわるのは、賢いとは言えないな。もちろんタダではない。協力してくれれば、君の父上の治療を約束しよう。私なら、効果的な治療を施せる」
「そんなこと、できるわけがないでしょう。医者でもないのに。それに、お父さんはもう……」
「君は勘違いしているかもしれないが、父上はMRSに取り憑かれて病んだのではない。PAACのショックによる精神障害だ」
「え……?」
「私の父が先走ってね。程度も考えずにPAACを使ってしまったんだ。それにより、君の父上は精神障害を起こしてしまったんだよ」
「そんな……わたしを騙してたの! あんたが、お父さんを……!」
「違う、私たちでない。私の父、つまりエプシロン日本支部の前代表だ。まぁ、不十分な情報を伝えていたことは謝罪しよう」
まったく謝意がこもっていない口調でエスは続ける。
「だが私も身内の恥を告白したのだ。それで十分じゃないか。改めてどうだ? もう一度、私に協力しないか?」」
「うるさいっ! よくもお父さんを……っ!」
「やれやれ、残念だ。まっとうな申し出のつもりだったんだがねな」
掲げた右腕がカエデに振り下ろされたその刹那――カエデの体をいかづちのような光が襲う。
「きゃあああーっ! 」
「協力するつもりがないのなら、もう寝ていたまえ」
「お父……さん、ごめん……。ごめんね…………」
カエデの方を振り向きもせず言い捨てると、エスはコンソールに何かを入力した。
「3対1とは、少しばかり公平性に欠けるんじゃないかね? なら、こちらもそれなりの対応をさせてもらおう」
そう言うと、エスはコンソールで何かを入力した。とたんに、全身にぞわっと怖気が走る。これは、全身の感覚が異常に鋭くなったような……。
「よくもカエデお姉ちゃんをっ!」
ライラが激高してエスに突っ込んでいく。エスはそれをかろうじて避け、ライラの体を軽く叩いた。とたんに、ライラの体は激しく震え、口から激しい悲鳴が漏れる。
「きゃああああっ!!!」
「ライラ!?」
押された程度で、あのライラの反応、そしてこの全身の感覚……まさか、ペインアブソーバーの設定をいじったのか?
「ククク、君たちは現実で受ける以上の痛みを、受けることになる。せいぜい気をつけてくれたまえ」
「くっ……」
それだけの痛みを受ければ、リアル世界でも障害が残ってしまうかもしれない。カエデの父親と同じように。だが……。
「……大丈夫だ」
「ええ、わたしもそう思う」
どうやら、アスナも気づいたようだ。
「えっ……でも、こんな痛みは……」
心配そうなライラを立ち上がらせて、安心させるように背中を撫でた。
「エスの剣士の実力は、ゴライアスほどじゃない。だから、攻撃を受けずに倒せばいいんだ」
「なんだと?」
エスの顔から、余裕の色が薄れる。
「……わかった。キリトたちがそう言うなら、私も!」
「ふん、どこまでやれるか、試してみるんだな!」
見たところ、エスのレベルは俺たちより高く、HPも多い。攻撃や防御のスキルも、それなりに揃っているようだ。だが、やはりその動きは日頃から戦いで鍛えている戦士のものではない。いくらスキルがあっても、実際に体を動かしたことがなければ、ぎこちなさが残っている。普通のプレイヤーになら勝てても、俺たちやライラのような熟練の戦士には及ばない。
エスの攻撃を受けることなく、的確にダメージを与える。油断さえしなければ、これで勝てるはずだ。
「……さすが、と言うべきか。ゴライアスが認めるだけのことはある」
「どうした、降参するのか?」
「ククク、この程度で勝ったつもりになるなよ? なぜなら――」
エスは、手にした剣を振り上げる。切り込みに備えて俺たちも構えるが、次のエスの行動は予想外のものだった。
「私は強いからだっ!」
そう言いながら、自分の剣で自分の太ももを突き刺した。
「なっ、なにを……」
混乱する俺たちの前で、エスは自分を何度も傷つける。「私は強い」と叫びながら。
「ライラ、クロスエッジには自傷することで強くなるスキルがあるのか!?」
「そんなスキルは知らない…」
いや、自分で言って気づいた。自分を傷つけて、強くなる。もし、そう言い聞かせているなら。痛みとともに、そうなるよう暗示をかけているとしたら――
「ライラ、アスナ! そいつから離れろ!」
「えっ!?」
「ふははは、もう遅い!」
エスは自傷行為をやめ、剣を構える。その雰囲気は、先ほどまでとは大きく変わっていた。
「ど、どういうことなんだ、キリト……」
「エスは、自分に暗示をかけているんだ。自分が強い、と」
「そんなことで、強くなるの……?」
アスナの疑問ももっともだ。だが……
「PAACとMRS。その暗示効果は、洗脳レベルだ。自分の潜在意識を刺激して、実力以上の強さを身に付けてもおかしくない」
「……ほう、そこまで見抜くか。さすがはキリトくんだ」
エスの目には狂気が宿っている。
「私は最強……その暗示によって、私は実際に最強になる。こんな風になあ!」
エスの斬撃を、ライラがすんでの所で受け止める。
「くっ……さっきまでと、全然違う……」
「ライラ!」
ライラはかろうじてエスを押し返す。
「ライラ、大丈夫だ。確かに、さっきまでより速いし、攻撃も重い。でも、ライラなら見切れるはずだ!」
「何をゴチャゴチャ言っている! いいかげん、倒れたまえ!!」
エスが再び突進してくる。
今度はアスナが狙いだ。だが、アスナはそれを紙一重でかわすと、エスの胸に細剣を突き出した。
「ぐおっ……!」
突進の勢いが強すぎて、エスはそれをうまくかわすことができない。かろうじて急所は外したが、それでも無視できないダメージだ。
「こ、この私に攻撃を当てた……だと?」
「ええ、だってわたしは、もっと速くて強い剣士を知っているから」
アスナは、剣をピタリとエスに突きつける。
「わたしはあなたの攻撃を受けないし、あなたはかわせない」
「このっ……死ねえっ!」
エスの動きがさらに加速し、次々とアスナの体を狙う。だがアスナは全てをかわし、動きがともったところに再び突きを繰り出す。それをまともに受けて、エスは後ずさった。
「すごい、アスナ……」
ライラが感嘆の声を上げる。
「俺たちも行くぞ、ライラ! 一気にエスを倒すんだ!」
エスは確かに強くなった。攻撃は重く、動きも速く、ヒットすれば致命傷を受けてしまうだろう。だが、根本の部分では変わっていなかった。攻撃に移る準備動作や、終わった後の体勢、周囲の把握など、戦いにはスキル以外の要素もたくさんある。これは、VRMMO特有の体の使い方を学んでいないと、できないことなんだ。
「おのれ、おのれおのれーっ!」
エスは闇雲に攻撃を振り回す。だが、俺たちにヒットすることはない。最初は気圧されていたライラも、今では余裕を持ってかわしている。
「はあ、はあ、はあ……なぜ、なぜ当たらないっ!」
「もう、オマエの負けだ。速くミハエルを解放しろ!」
ライラの言葉に、エスは激しく首を振った。
「負けていない……私はまだ負けてはいない! 最後に勝った者が勝者だ!」
そう言って、エスはライラに向かって武器を投げつけた。予想していない行動に、一瞬俺たちの動きが止まる。そのすきに、エスは扉から外へと逃げ出した。
「ま、待てっ!」
ライラが慌てて追いかける。エスはどこに行くつもりだ? まさかログアウトして……。
「ミハエルのところだ! 今のエスに襲われたら、ミハエルは……」
「そ、そうか! それなら急がないと!」
ミハエルがいた部屋まで、走れば5分程度。だが今は、それがとても長く感じられる。
「ミハエル、無事でいてくれ……」
走りながら祈るライラ。その気持ちは、俺もアスナも一緒だった。
ようやくたどり着き、部屋へ飛び込む。そこにはライラの心配通り、エスも来ていた。ミハエルは物陰に隠れているが、エスに攻撃されてはいないらしい。
「追いついたぞ、エス。観念しろ!」
ライラの言葉で、床に倒れたままのゴライアスが笑い出す。
「おいおいエスさん、逃げてきたのかよ。やっぱり強かったか、アイツらは」
「うるさい、この下僕が!」
「下僕たあ、ひでえ言いようだなあ」
そう言いながらも、ゴライアスはどこか満足気だ。「だが、貴様にもまだできることがある」
そう言いながら、エスは剣をゴライアスの肩に突き刺した。
「ぐおっ……て、てめえ、なにを……」
「ククク、力が湧いてくるだろう? 自分でも抑えきれない力が」
剣を引き抜き、今度は足に突き立てる。ゴライアスが苦痛のうめきを上げのたうつが、やがてその動きが止まった。
「キリト、あれはもしかして……」
「ああ、そうだ。あいつ……痛みで暗示を……」
満身創痍のゴライアスに、痛みによる暗示で無理矢理戦わせる。まさか、そんなことまでできるとは。
「だが、さっきまでのオマエじゃ力不足だな。だったら……!」
「ぐああアアアッ!!!」
エスが何かをつぶやくと、ゴライアスの体がビクンと痙攣した。そして、そのままゆっくりと立ち上がり、剣を構える。
「ご、ゴライアス……!?」
その目は真っ赤に血走り、焦点が定まっていない。
「グオオオオッ!」
もはや、ゴライアスは意識を保っていなかった。ただ、暗示によって戦わされる操り人形だ。
「貴様、なんてことを……ゴライアスは仲間だろう」
「仲間……? ああそうだね! 仲間なら私の役に立ってもらわないと」
「クソが……」
「私も、本気を出そう。」
そう言いながら、エスはまたも自分を傷つける。先程までそこにいたスーツ姿の男は、異形の怪物へと変化した。
「さあ、第二ラウンドだ。今度はこちらも二人、いい勝負になるだろう?」
正気を失ったゴライアスが、力任せに剣をたたきつけてくる。ガードしてそれを受けるが、剣が折れるかと思うような衝撃だ。そして、拳をたたきつけられた衝撃ですら、肌を刺すような痛みがある。
そのゴライアスの陰に隠れ、エスもイヤらしい攻撃をしてくる。先ほどまでの反省なのか、必要以上に俺たちに近づこうとはせず、ゴライアスの攻撃で体勢を崩した相手にだけ、攻撃を仕掛けてくるのだ。本来であれば、あの程度の攻撃は無視するのだが、痛みが増幅している今では、かすり傷すら致命傷になりかねない。さらに、ゴライアスにもエスにも、わずかなダメージは暗示を強めることになってしまう。必然的に、大きなダメージを与える隙をうかがうのだが、常軌を逸したゴライアスの動きに、それもままならない。何とか距離を取って、反撃の機会をうかがうが……なかなかつけいる隙はなさそうだ。
「今のままじゃ、ジリ貧だ。一撃も食らわず、さらに相手に大ダメージを与えるのは難しい」
「でも、それじゃどうするんだ!?」
ライラが叫ぶ。ライラも度重なるゴライアスとエスの攻撃で消耗している。この状態で、長くは戦えないだろう。
「僕のペインキラーがあれば、PAACを無効化できます。そうすれば、あの凶暴化も止まると思うんですけど……」
「そうか、それなら……!」
誰かがコントロールルームまで行って、カエデが持っているペインキラーを持ってくる。そうすれば、こっちにも勝機が出てくる。なら……。
「アスナ、それにライラ。ここは俺が引き受ける。二人はカエデのところに行って、ペインキラーを回収してくれ」
「そんな、無茶よ!」
アスナが悲鳴にも似た声を上げる。
「わたしも戦うわ!」
「いや、ライラ一人を行かせるのは危険だ。二人で、確実にペインキラーを確保するんだ」
「そんな、キリト……」
わかっている。俺一人で、一度も攻撃を食らわずに戦い続けることはできないだろう。だが、それ以外にチャンスはない。
「なんだ、命乞いの相談か? 私を感動させるほど惨めに乞えば、殺さないでやってもいいぞ?」
「誰が命乞いなんかするかよ」
「ならば……死ねっ!」
エスの怒号に合わせて、ゴライアスが突っ込んでくる。一歩走るごとに、苦痛のうめき声があがる。限界以上に体を酷使し、全身に痛みが走っているのだろう。だがその痛みが、ますますゴライアスの暗示を強くする。
グオオオオッ!
獣じみた叫びと共に、ゴライアスの剣がアスナを襲う。細剣で受け流そうとするが、ゴライアスの膂力に押されて体勢を崩してしまった。
「アスナっ!」
「他人の心配をしている場合か!?」
アスナを助けようと飛び出したところに、エスの剣が突き出された。ピッと頬をかすめ、そこから肉を抉られたような痛みが走る。苦痛で息が詰まり、危うく倒れそうになる。
「くっ……」
「キリトくん!」
やはり、誰かがここを引き受けて、ペインキラーを持ってくるしかない。そのために、アスナを……。
「パパ、ママ、聞こえますか! パパ」
最初、その声がどこから聞こえてくるのかわからなかった。ユイが、ここにいるはずはない。だが、再度聞こえたとき、それが幻聴でないとようやく理解した。ユイが、廊下から俺たちを探している!
「ユイ、ここだ!」
「ユイちゃん!」
俺とアスナの声が、同時にユイを呼ぶ。その一瞬後、入り口の扉が勢いよく開いた。
「ここかっ、キリトっ!」
飛び込んできたのは、額に赤いバンダナを巻き、カタナを構えたサムライだった。
「ク、クライン……?」
考えもしなかった事態に、頭が真っ白になる。そして、飛んでしまった俺の思考力が戻ってくる前に、扉からは次々と仲間たちが入ってきた。
「アスナ、大丈夫だった!? 怪我はない?」
一直線にアスナに駆け寄る《絶剣》ユウキ。
「遅くなりましたが、どうやら間に合ったようですね。」
金色に輝く整合騎士の鎧を身にまとったアリス。
「よかった、無事だったんだねキリト」
蒼く輝く剣を手にしたユージオ。
「ユウキ、アリス、ユージオ……二人には、街の方の調査を頼んでいたのに……」
「ユイが連絡をくれたのです。キリトたちが苦境に陥っていると」
「アスナのピンチだって聞いたら、いてもたってもいられないよ!」
「ここのセキュリティは、ユイッペがバッチリ突破してくれたぜ?」
「ユウキ、みんな……ありがとう」
「さあアスナ。敵をちゃちゃっとやっつけちゃおう」
突然の侵入者に呆然としていたエスだが、ユウキの言葉で我に返ったようだ。再び、狂気じみた怒りの表情を浮かべてわめきちらす。
「たかが四人増えたところで、貴様らに勝ち目などないわ!」
だが、ユウキはそんなエスの様子にも全く動じる様子がない。
「ざーんねん、四人だけじゃないんだよねー。たぶんそろそろ……」
「遅くなったな。こっちのお嬢さんも無事だったぜ」
そう言いながら入ってきたのは、大きなバトルアックスを構えたシルエット
士……エギル。カエデも、エギルに肩を借りてふらつきながらも歩いている。
「カエデお姉ちゃん!」
「ごめんね、ライラちゃん。ミハエルも……」
「ううん、平気だから!」
そう言って頷くライラに、弱々しく手を上げて答えるカエデ。エギルが彼女を、俺たちから少し離れたミハエルのところへと連れて行った。
「クッ、グググ……」
エスの形相が、恐ろしくゆがむ。その曲がった口から、ヒステリックな声でゴライアスを呼んだ。
「コイツらを殺せ、ゴライアス!」
エスの命令に応じてゴライアスも吠え、空気がビリビリと震えた。
「あの大男、正気を失ってるのか。んで、あの偉そうな方が黒幕だな?」
「ああ、そうだ」
「なら、あの暴走野郎はオレたちに任せてくれ。お前は、大ボスをやっつけるんだ」
「……助かるよ、クライン」
「よーし、いっちょやるか!」
クラインの号令に、アリスたちが応じる。
「おうデカブツ、悪いがここは通行止めだ!」
クラインたちがゴライアスを引き受けてくれたおかげで、俺たちはエスとの戦いに集中できるようになった。怒り狂ったエスの攻撃は、かすっただけでも大ダメージとなる。それはさっき受けた頬の傷で思い知った。
だが、クラインやユージオたちが来てくれたおかげで、精神的にも余裕ができた。今は、エスの攻撃も見切ることができる。
「このクソどもがっ! 虫けらどもっ!」
全身を自ら作った傷だらけにしながら、エスが武器を振り回す。だが、もはやそれがヒットすることはない。
「いくら悪態をついても、お前の負けだ、エス。おとなしく観念しろ」
「……私が、負ける? そんなことは、許されない!」
血走った目で、辺りをキョロキョロと見回す。その視線が、ミハエルのところでピタリと止まった。
「そうだ、オマエ……ミハエルが、私の物になれば」
「なっ、ミハエル!?」
ミハエルは、戦いの場からは少し離れたところに、カエデと一緒に避難している。これまで、エスもゴライアスも狙わなかったから、油断していた。慌ててミハエルの元へ走るが、エスはもうミハエルの眼前まで迫っていた。
「さあ、私の物になれっ!」
「ミハエルッ!?」
ライラが必死に手を伸ばすが、エスには届かない。俺もアスナも、エスの攻撃を止めるには遠すぎる。
「はっはー! 我ながら完璧な勝利! 最後に笑うのは私なのだよ!」
エスが上段に構えた剣を、ミハエルの頭上に振り下ろす。もうだめだ、と諦めかけた時、ミハエルとエスの間に誰かが体を割り込ませた。
「完璧な勝利? そうかしら」
その人物は、手にした大剣をエスの腹に突き刺していた。
「カ……カエデお姉ちゃん!」
「この大剣は《ペインキラー》。PAACを解除するパッチが仕込まれている。そうよね、ミハエル君」
「そうです、カエデさん」
「それなら、これを使えばあなたの強さも……っ!」
「ぐ、ぐふっ……」
エスの手から、振り上げた剣が落ちる。刺さった剣を必死に抜こうと刀身を掴むが、押し返せない。逆に、カエデは力を入れて刀身を押し込んだ。
「ち、力が……抜けるっ……!」
「よくも、よくもお父さんをひどい目に……っ!」
「う、うおおおおおおっ!」
「お父さんの……かたきっ!」
ペインキラーの刀身が、エスの体を貫通する。PAACの暗示が切れ、エスの体がぐにゃり、と脱力した。カエデが剣を引き抜くと、そのまま後ろに倒れて動かなくなる。
グガアアッ!
それと同時に、ゴライアスも轟くような悲鳴を上げて、動きを止めた。
「ど、どうして、私が……」
地面に這いつくばって、エスが声を絞り出す。PAACの暗示の反動で、体がうまく動かないのだろう。
「ご、ゴライアス! こいつらを殺せ……命令だ!」
「無理を、言うな……あんたのせい、で……オレの体は、ボロボロ、だ……」
ゴライアスは、消え入りそうな声で答える。あれだけのダメージとPAACの反動がありながら、意識があるだけでも奇跡的だ。
「おい、誰かいないのか! 侵入者を排除しろ! そうしたら報奨金を出すぞ!」
「虚飾を剥がされた者はこんなにも哀れなのですね」
未だに自力で起き上がることができないエスに、アリスが哀れみの目を向ける。
「こんな奴が、ミハエルを……」
そうつぶやくライラに、カエデがそっとペインキラーを渡した。
「これ……ライラちゃんが持つべきだよね。今さら、ごめんだなんて言えないけど、全部終わりにしてくれる?」
「……うん、わかった」
剣を受け取って、ライラはエスを見下ろした。刺されると思ったのか、エスはひいっと悲鳴を上げる。
「……立って」
「えっ……」
「立てと言っているんだ!」
ライラの怒号に、エスは縮こまりながら、必死に立ち上がる。
「エス、勝負だ」
「勝負……?」
「ああ、ここからは純粋な《クロスエッジ》のルールで、私と勝負しろ。ちゃんとおまけもしてやるぞ。お前の大好きなPAACを使って、痛覚を最大にしてやる」
「さ、最大……?」
エスが恐怖で後ずさる。今の体で激しい痛みを受けたら、それこそ精神が持たないだろう。
「私の方も、ちゃんと同じ設定だ。一撃でも当たれば、お前の勝ちだぞ」
一見、無謀に思えるライラの申し出。だが、俺には何となくわかった。ライラは、エスの精神をとことんまで追い詰めるのだろう。二度と、こんな悪辣な事件を起こさないように。
「さあ、かかってこい」
「くっ……!」
しばらく躊躇していたが、やがて覚悟を決めたエスが剣を振る。だがそれも腰が引けており、目をつぶっていてもかわせるほどだ。
「……その程度か」
続く二撃目を大剣の腹で受け、エスの剣を弾き飛ばす。とっさに頭をかばうエスの喉元に、ライラは切っ先を向ける。
「これを、あと少しだけ前に出せば、その喉に突き刺さる。そうすれば、お前の大好きなPAACの痛みを味わうことができるぞ」
「わ、わかった……私の負けだ、負けを認める! だから剣を引いてくれ!」
「………………」
ライラは剣を突きつけたまま動かない。
「ク、クロスエッジからは手を引く。それでいいだろう……足りないか? なら金はどうだ? いくらほしい……」
「そんなものはいらない!」
「ひいっ!」
ライラが剣を突き出し、エスがとっさに体を引く。その勢いが強すぎて、そのまま後ろに尻餅をついた。
「謝るんだ。ミハエルと、カエデお姉ちゃんに」
「謝る……?」
「それから、カエデお姉ちゃんの家族にもだ」
「わかった、謝る! 申し訳なかった……反省している! もう二度とクロスエッジにも、お前たちにも手を出さない!」
エスは土下座して、額を床にこすりつける。エス以外、誰も一言も発しなかった。エスの後頭部をじっと見ていたライラは、やがてカエデとミハエルに視線を向けた。
「ありがとう、ライラちゃん。もういいよ、こんなヤツ」
「僕も、もう大丈夫。ありがとう、姉さん」
三人はお互いに涙目に鳴って、ぎゅっと肩を抱き合う。
その間もエスは、土下座の姿勢のままうめき声を上げていた。
「なるほど、こうすれば二度と邪な企みをすることはないでしょうね」
「偉そうなヤツほど、負けるとポッキリ折れちまうからなあ」
「でも、みんな無事で本当によかったね」
アリス、クライン、ユージオが興味深そうに話している。ユウキは、ユイと一緒にアスナが無事かどうか確認しているようだ。
「これでようやく終わりか」
エギルが俺の隣に立って、ため息をついた。
「幽霊の噂が、また大変な事件になったもんだ」
お互い、顔を見合わせて苦笑する。
「ああ、まったくだ」
「ついにやったな、ライラ」
「ああ、ありがとうキリト。それにみんなも、みんなのおかげで、ミハエルを無事に救い出すことができた」
「僕からもお礼を言わせてください。ありがとうございました」
「例なんて必要ないよ。俺たちにも、目的はあったんだから。それより、PAACの設定を戻しちゃおうぜ」
「そうだな。行こう、ミハエル。カエデお姉ちゃんも」
ライラたちは、ペインキラーを盛ってコントロールルームに向かった。これで、クロスエッジも元通りになるだろう。
「さてと……後はあんただな、ゴライアス」
さっきまで気を失っていたゴライアスだが、ようやく目覚めて、今は立ち上がっている。
「ああ、わかってる。やっぱりオレも成敗されんのか?」
「いや、責任はエスにあるんだ。なにもする気はないよ」
「そいつはありがてえ。なら、とっととおさらばさせてもらうとするか」
ゴライアスの動きは、さっきまで気絶していたとは思えない。本当にタフなヤツなんだな、こいつは。
ゴライアスは早足で扉に向かい、出て行く直前にこちらを見た。
「いろいろ悪かったな。またどこかであったら、戦おうぜ」
「ああ、わかったよ」
最後までブレないまま、ゴライアスは出て行った。
「これで、やっと一件落着だな」
「そうね……色々大変だったけど、キリトくんが無事でよかった」
「ああ、アスナも。そしてみんなもな」
その後、クロスエッジで行われていた陰謀は明らかになり、エプシロン日本支部は解体された。社長であるエスこと江利川は、誘拐・監禁など複数の罪に問われ、現在も警察で取り調べを受けている。一連の報道で、クロスエッジの人気はかなり落ち、ユーザー数も減ってしまった。だがその一方で、MRSを活用した仮想空間でのリハビリ医療が注目され、少しずつ評判も回復している。
ライラたちも後処理に追われ、忙しい日々を送っていたようだ。昨日になってようやく落ち着いたと連絡があり、今は久しぶりにクロスエッジにログインし、ライラたちと会っていた。
「それじゃ、ミハエルの体はまだ本調子じゃないのか」
「はい、監禁生活が長かったのと、仮想世界で受けた痛みの影響が出てしまって。まだ少し足が不自由なんです。でも、ちゃんとリハビリをすればよくなると言われました」
「だから、まだ安静にしてた方がいいのに……ミハエルはしょっちゅう病院を歩き回っているんだ」
「お医者さんからは、体を動かした方が治りが早いって言われたよ」
ミハエルがそう言うと、ライラは「そうかもしれないけど……」と膨れる。こんな、年相応のライラを見たのは初めてかもしれないな。
その後アスナと合流し、さらにみんなを呼んで事件の解決を祝った。カエデは、ミハエルの誘拐に関与しているという疑いがかかったものの、首謀者である江利川が「自分一人でやった」と強硬に主張しており、さらにミハエルの釈明もあって、大きな罪には問われないようだ。下等な部下たちは自分の指示に従っていただけ、という理屈らしい。
最後に、気になるのは偽PoHの行方だが……こればかりは、誰も知らないらしい。
「あの、フードの男……大丈夫かな」
「どうだろうな……」
ライラの不安を払拭してあげたいが、本物のPoHを喚び出してしまったほどの執念は侮れない。
「でも、クロスエッジで出会ったら、また倒してやるさ」
「確かにそうだな。今はMRSの悪用なんてされてないし、次はやっつけてやる!」
「………………」
クロスエッジ内、廃墟エリア。
偽PoH、と呼ばれていたフードの男が廃墟の一室でうずくまっていた。
この男は、アンダーワールドでの異界大戦に参加したプレイヤーだった。PoHの扇動を見て興味本位で参加したが、そこでのリアルな戦闘の空気と、PoHの持つ悪のカリスマに魅せられてしまった。PoHを教祖とした狂信者のように。キリトとの死闘の末にPoHが敗れてしまった後は、信じた存在がなくなったことに耐えられず、いつしか自らをPoHと自認するようになっていった。それにエスが目を付け、キリトをおびき出すエサとして、クロスエッジに連れてきたのが、今回の事件の発端となる。
だが、クロスエッジ内、喚び出したPoHが再び破れてしまった。さらに、自らのアバターにPoHを顕現させたことで、記憶と人格はPoHに侵食され、すでに元の人格は崩壊しつつあった。
「あの人は……オレは負けない。何度でも甦って、黒の剣士の前に現れる」
聞こえないほど小さな声でつぶやきながら、男はゆらり、と立ち上がった。
「ショウタイムには、アンコールがつきものだからな」
「そうだ、これ見て! またバトルロイヤル大会があるんだって!」
数日後、みんなでクロスエッジにログインした。さっそくユウキがビラを取り出し、みんなに見せる。
「おお、次は大規模大会か。数十人規模のバトルロイヤルなんて、楽しみじゃねえか。腕が鳴るぜ」
「バトルロイヤル……って、どんな神聖語なんだろう? バトルは何となくわかるけど……」
みんな、楽しそうに大会について話す。
「オレはもちろん出るけど、二人はどうするんだ?」
「もちろん、私は出るぞ!」
「僕も、久しぶりに出ようかな。クロスエッジで遊ぶのは久しぶりだし」
「よーし、それじゃみんなで、クロスエッジを楽しもうぜ!」
ゲームシナリオ原案:すえばしけん
シナリオ構成・リライト:恩田竜太郎
