「ソードアート・オンライン ヴァリアント・ショウダウン」メインストーリー ウェブ小説版

4章-後半

「きゃあーーーっ!!!」

カエデの行方を捜そうと扉から出た瞬間、悲鳴が聞こえた。

「カエデお姉ちゃん!?」

ライラが声のする方へ駆けだし、慌てて俺たちも追いかける。カエデの悲鳴……ということは、そこにさらなる敵がいるということだ。ゴライアスが言っていた、「上」の存在だろう。

廊下の先に、開いたままのドアがある。ライラに続いてそこに飛び込むと、クロスエッジの世界には場違いな――ある意味、オフィスという場には合っている――スーツ姿の男が立っていた。そのそばには、カエデが倒れている。

「カエデお姉ちゃん!」

ライラの声に、カエデはわずかに反応した。まだ意識があるようで、ホッとする。

「初めまして、だね。君がキリトくんか。わざわざ出向いてきてくれてありがとう」

スーツの男は、そう言って慇懃にお辞儀をする。

「そういうあんたは誰なんだ」

「自己紹介が遅れて済まないね。私のことはエス、と呼んでくれたまえ。一応、エプシロンの日本支部代表を務めている。今後ともよろしく」

「やっぱり、あんたが黒幕か。だとしたら、よろしくしたい相手とは思えないな」

ライラが抱き起こしているカエデを見ながら答える。アスナも付き添って、ヒールしてくれているようだ。

「カエデはあんたがやったのか。仲間なのに、なぜこんなことを?」

「命令違反をした不届き者に、罰を与えたのさ。この場所で、カエデ君が何をしようとしたと思う? クロスエッジを破壊しようとしていたんだよ」

「嘘だ!」

カエデを抱きかかえながら、ライラが吠えた。

「嘘かどうか、彼女に聞いてみたらどうかね」

「カエデお姉ちゃん、嘘だよね!? クロスエッジを壊すなんて、そんな……」

「……事実、よ」

苦しそうにあえぎながら、それでもはっきりとカエデは答えた。痛みに顔をゆがめ、アスナがさらに治癒魔法をかける。

「どうして、わたしを治療するんだ……」

「あなたが怪我をしているからよ。それに、ライラさんが信頼する友だちでもある」

「違う! わたしは……もう、ライラの友だちなんかじゃ……」

カエデの表情がゆがみ。だが今彼女を襲っているのは痛みではなく、後悔や悲しみだろう。

「カエデお姉ちゃん、どうしてクロスエッジを……?」

「言ったでしょう。クロスエッジが私の家族を壊したからよ。お父さんは、クロスエッジのせいで、あんな風に……」

「君がクロスエッジを破壊しようとしていたのは、筒抜けだったよ。だがまさか、コントロールルームを開けるところまでやるとは思っていなかったけれどね」

慇懃な態度と言葉遣いをしているが、その端々からカエデや俺たちに対するさげすみが感じられる。

「それで、その賢いあんたが俺に会いたがる理由は何だ?」

「この世界……クロスエッジは素晴らしい。MRSの記憶再生システムは特にね。だが、完璧ではない。記憶のデータが少なすぎて、再生が不完全なものがある」

「俺の記憶があれば、それが完全なものになるっていうのか」

「そう……君のアンダーワールドの記憶があれば、ね」

「アンダーワールド……」

やはり、アンダーワールドの情報が狙いだったのか。だが、そこまでアンダーワールドにこだわる理由がわからない。

「正確には、プロジェクト・アリシゼーションについての記憶だ。あの見事な計画の実証データを応用……つまり人を超える高度なAIによって、人間の不完全な記憶を補完することができれば、MRSは真に完成する。そして、MRSとPAAC……痛みと暗示によって、どんな人間でも私に従うことになるのだよ」

エスは悦に入った様子で演説を続ける。だが、そのどこにも共感できる部分はない。ただひたすらに、自己中心的で醜悪なだけだ。

「そんなっ、馬鹿げてる! クロスエッジは、そんなことのためにあるんじゃない!」

「狂ってるわ、あなた……」

アスナとライラも、俺と同じく嫌悪の表情を浮かべている。

「君たち凡人の、貧困な発想力ではそう思えるのかもしれない。だが、計画は着実に進行している。あとひとつ、君の記憶データがあれば完遂するんだよ」

「ライラとアスナの言うとおり、そんな馬鹿げた計画のために、俺の記憶も渡さない。俺たちはミハエルを助け出して、クロスエッジを元の正常なゲームに戻してみせる」

「凡人の視野の狭さには、困ったものだ」

そういうエスの言葉は、ちっとも残念そうに聞こえない。

「ということは、あんたをぶっ潰せば、この馬鹿げた計画は止まるってことだな」

「そうかもしれないね。もっとも、君たちにそれができるとは到底思えないが。 まぁ、やるだけやってみたまえ。」

「いいことを聞いたぜ」

そう言って俺が剣を構えるが、エスは馬鹿にしたように鼻で笑う。

エスは俺たちをぐるっと見回す。

「君たちに後れを取ることはないが……ふむ、少々面倒ではあるな。」

「カエデ君、もう一度私に協力しないか?」

「……なんであんたなんかに」

「過ぎたことにこだわるのは、賢いとは言えないな。もちろんタダではない。協力してくれれば、君の父上の治療を約束しよう。私なら、効果的な治療を施せる」

「そんなこと、できるわけがないでしょう。医者でもないのに。それに、お父さんはもう……」

「君は勘違いしているかもしれないが、父上はMRSに取り憑かれて病んだのではない。PAACのショックによる精神障害だ」

「え……?」

「私の父が先走ってね。程度も考えずにPAACを使ってしまったんだ。それにより、君の父上は精神障害を起こしてしまったんだよ」

「そんな……わたしを騙してたの! あんたが、お父さんを……!」

「違う、私たちでない。私の父、つまりエプシロン日本支部の前代表だ。まぁ、不十分な情報を伝えていたことは謝罪しよう」

まったく謝意がこもっていない口調でエスは続ける。

「だが私も身内の恥を告白したのだ。それで十分じゃないか。改めてどうだ? もう一度、私に協力しないか?」」

「うるさいっ! よくもお父さんを……っ!」

「やれやれ、残念だ。まっとうな申し出のつもりだったんだがねな」

掲げた右腕がカエデに振り下ろされたその刹那――カエデの体をいかづちのような光が襲う。

「きゃあああーっ! 」

「協力するつもりがないのなら、もう寝ていたまえ」

「お父……さん、ごめん……。ごめんね…………」

カエデの方を振り向きもせず言い捨てると、エスはコンソールに何かを入力した。

「3対1とは、少しばかり公平性に欠けるんじゃないかね? なら、こちらもそれなりの対応をさせてもらおう」

そう言うと、エスはコンソールで何かを入力した。とたんに、全身にぞわっと怖気が走る。これは、全身の感覚が異常に鋭くなったような……。

「よくもカエデお姉ちゃんをっ!」

ライラが激高してエスに突っ込んでいく。エスはそれをかろうじて避け、ライラの体を軽く叩いた。とたんに、ライラの体は激しく震え、口から激しい悲鳴が漏れる。

「きゃああああっ!!!」

「ライラ!?」

押された程度で、あのライラの反応、そしてこの全身の感覚……まさか、ペインアブソーバーの設定をいじったのか?

「ククク、君たちは現実で受ける以上の痛みを、受けることになる。せいぜい気をつけてくれたまえ」

「くっ……」

それだけの痛みを受ければ、リアル世界でも障害が残ってしまうかもしれない。カエデの父親と同じように。だが……。

「……大丈夫だ」

「ええ、わたしもそう思う」

どうやら、アスナも気づいたようだ。

「えっ……でも、こんな痛みは……」

心配そうなライラを立ち上がらせて、安心させるように背中を撫でた。

「エスの剣士の実力は、ゴライアスほどじゃない。だから、攻撃を受けずに倒せばいいんだ」

「なんだと?」

エスの顔から、余裕の色が薄れる。

「……わかった。キリトたちがそう言うなら、私も!」

「ふん、どこまでやれるか、試してみるんだな!」

見たところ、エスのレベルは俺たちより高く、HPも多い。攻撃や防御のスキルも、それなりに揃っているようだ。だが、やはりその動きは日頃から戦いで鍛えている戦士のものではない。いくらスキルがあっても、実際に体を動かしたことがなければ、ぎこちなさが残っている。普通のプレイヤーになら勝てても、俺たちやライラのような熟練の戦士には及ばない。

エスの攻撃を受けることなく、的確にダメージを与える。油断さえしなければ、これで勝てるはずだ。

「……さすが、と言うべきか。ゴライアスが認めるだけのことはある」

「どうした、降参するのか?」

「ククク、この程度で勝ったつもりになるなよ? なぜなら――」

エスは、手にした剣を振り上げる。切り込みに備えて俺たちも構えるが、次のエスの行動は予想外のものだった。

「私は強いからだっ!」

そう言いながら、自分の剣で自分の太ももを突き刺した。

「なっ、なにを……」

混乱する俺たちの前で、エスは自分を何度も傷つける。「私は強い」と叫びながら。

「ライラ、クロスエッジには自傷することで強くなるスキルがあるのか!?」

「そんなスキルは知らない…」

いや、自分で言って気づいた。自分を傷つけて、強くなる。もし、そう言い聞かせているなら。痛みとともに、そうなるよう暗示をかけているとしたら――

「ライラ、アスナ! そいつから離れろ!」

「えっ!?」

「ふははは、もう遅い!」

エスは自傷行為をやめ、剣を構える。その雰囲気は、先ほどまでとは大きく変わっていた。

「ど、どういうことなんだ、キリト……」

「エスは、自分に暗示をかけているんだ。自分が強い、と」

「そんなことで、強くなるの……?」

アスナの疑問ももっともだ。だが……

「PAACとMRS。その暗示効果は、洗脳レベルだ。自分の潜在意識を刺激して、実力以上の強さを身に付けてもおかしくない」

「……ほう、そこまで見抜くか。さすがはキリトくんだ」

エスの目には狂気が宿っている。

「私は最強……その暗示によって、私は実際に最強になる。こんな風になあ!」

エスの斬撃を、ライラがすんでの所で受け止める。

「くっ……さっきまでと、全然違う……」

「ライラ!」

ライラはかろうじてエスを押し返す。

「ライラ、大丈夫だ。確かに、さっきまでより速いし、攻撃も重い。でも、ライラなら見切れるはずだ!」

「何をゴチャゴチャ言っている! いいかげん、倒れたまえ!!」

エスが再び突進してくる。

今度はアスナが狙いだ。だが、アスナはそれを紙一重でかわすと、エスの胸に細剣を突き出した。

「ぐおっ……!」

突進の勢いが強すぎて、エスはそれをうまくかわすことができない。かろうじて急所は外したが、それでも無視できないダメージだ。

「こ、この私に攻撃を当てた……だと?」

「ええ、だってわたしは、もっと速くて強い剣士を知っているから」

アスナは、剣をピタリとエスに突きつける。

「わたしはあなたの攻撃を受けないし、あなたはかわせない」

「このっ……死ねえっ!」

エスの動きがさらに加速し、次々とアスナの体を狙う。だがアスナは全てをかわし、動きがともったところに再び突きを繰り出す。それをまともに受けて、エスは後ずさった。

「すごい、アスナ……」

ライラが感嘆の声を上げる。

「俺たちも行くぞ、ライラ! 一気にエスを倒すんだ!」

エスは確かに強くなった。攻撃は重く、動きも速く、ヒットすれば致命傷を受けてしまうだろう。だが、根本の部分では変わっていなかった。攻撃に移る準備動作や、終わった後の体勢、周囲の把握など、戦いにはスキル以外の要素もたくさんある。これは、VRMMO特有の体の使い方を学んでいないと、できないことなんだ。

「おのれ、おのれおのれーっ!」

エスは闇雲に攻撃を振り回す。だが、俺たちにヒットすることはない。最初は気圧されていたライラも、今では余裕を持ってかわしている。

「はあ、はあ、はあ……なぜ、なぜ当たらないっ!」

「もう、オマエの負けだ。速くミハエルを解放しろ!」

ライラの言葉に、エスは激しく首を振った。

「負けていない……私はまだ負けてはいない! 最後に勝った者が勝者だ!」

そう言って、エスはライラに向かって武器を投げつけた。予想していない行動に、一瞬俺たちの動きが止まる。そのすきに、エスは扉から外へと逃げ出した。

「ま、待てっ!」

ライラが慌てて追いかける。エスはどこに行くつもりだ? まさかログアウトして……。

「ミハエルのところだ! 今のエスに襲われたら、ミハエルは……」

「そ、そうか! それなら急がないと!」

ミハエルがいた部屋まで、走れば5分程度。だが今は、それがとても長く感じられる。

「ミハエル、無事でいてくれ……」

走りながら祈るライラ。その気持ちは、俺もアスナも一緒だった。

ようやくたどり着き、部屋へ飛び込む。そこにはライラの心配通り、エスも来ていた。ミハエルは物陰に隠れているが、エスに攻撃されてはいないらしい。

「追いついたぞ、エス。観念しろ!」

ライラの言葉で、床に倒れたままのゴライアスが笑い出す。

「おいおいエスさん、逃げてきたのかよ。やっぱり強かったか、アイツらは」

「うるさい、この下僕が!」

「下僕たあ、ひでえ言いようだなあ」

そう言いながらも、ゴライアスはどこか満足気だ。「だが、貴様にもまだできることがある」

そう言いながら、エスは剣をゴライアスの肩に突き刺した。

「ぐおっ……て、てめえ、なにを……」

「ククク、力が湧いてくるだろう? 自分でも抑えきれない力が」

剣を引き抜き、今度は足に突き立てる。ゴライアスが苦痛のうめきを上げのたうつが、やがてその動きが止まった。

「キリト、あれはもしかして……」

「ああ、そうだ。あいつ……痛みで暗示を……」

満身創痍のゴライアスに、痛みによる暗示で無理矢理戦わせる。まさか、そんなことまでできるとは。

「だが、さっきまでのオマエじゃ力不足だな。だったら……!」

「ぐああアアアッ!!!」

エスが何かをつぶやくと、ゴライアスの体がビクンと痙攣した。そして、そのままゆっくりと立ち上がり、剣を構える。

「ご、ゴライアス……!?」

その目は真っ赤に血走り、焦点が定まっていない。

「グオオオオッ!」

もはや、ゴライアスは意識を保っていなかった。ただ、暗示によって戦わされる操り人形だ。

「貴様、なんてことを……ゴライアスは仲間だろう」

「仲間……? ああそうだね! 仲間なら私の役に立ってもらわないと」

「クソが……」

「私も、本気を出そう。」

そう言いながら、エスはまたも自分を傷つける。先程までそこにいたスーツ姿の男は、異形の怪物へと変化した。

「さあ、第二ラウンドだ。今度はこちらも二人、いい勝負になるだろう?」

 正気を失ったゴライアスが、力任せに剣をたたきつけてくる。ガードしてそれを受けるが、剣が折れるかと思うような衝撃だ。そして、拳をたたきつけられた衝撃ですら、肌を刺すような痛みがある。

そのゴライアスの陰に隠れ、エスもイヤらしい攻撃をしてくる。先ほどまでの反省なのか、必要以上に俺たちに近づこうとはせず、ゴライアスの攻撃で体勢を崩した相手にだけ、攻撃を仕掛けてくるのだ。本来であれば、あの程度の攻撃は無視するのだが、痛みが増幅している今では、かすり傷すら致命傷になりかねない。さらに、ゴライアスにもエスにも、わずかなダメージは暗示を強めることになってしまう。必然的に、大きなダメージを与える隙をうかがうのだが、常軌を逸したゴライアスの動きに、それもままならない。何とか距離を取って、反撃の機会をうかがうが……なかなかつけいる隙はなさそうだ。

「今のままじゃ、ジリ貧だ。一撃も食らわず、さらに相手に大ダメージを与えるのは難しい」

「でも、それじゃどうするんだ!?」

ライラが叫ぶ。ライラも度重なるゴライアスとエスの攻撃で消耗している。この状態で、長くは戦えないだろう。

「僕のペインキラーがあれば、PAACを無効化できます。そうすれば、あの凶暴化も止まると思うんですけど……」

「そうか、それなら……!」

誰かがコントロールルームまで行って、カエデが持っているペインキラーを持ってくる。そうすれば、こっちにも勝機が出てくる。なら……。

「アスナ、それにライラ。ここは俺が引き受ける。二人はカエデのところに行って、ペインキラーを回収してくれ」

「そんな、無茶よ!」

アスナが悲鳴にも似た声を上げる。

「わたしも戦うわ!」

「いや、ライラ一人を行かせるのは危険だ。二人で、確実にペインキラーを確保するんだ」

「そんな、キリト……」

わかっている。俺一人で、一度も攻撃を食らわずに戦い続けることはできないだろう。だが、それ以外にチャンスはない。

「なんだ、命乞いの相談か? 私を感動させるほど惨めに乞えば、殺さないでやってもいいぞ?」

「誰が命乞いなんかするかよ」

「ならば……死ねっ!」

エスの怒号に合わせて、ゴライアスが突っ込んでくる。一歩走るごとに、苦痛のうめき声があがる。限界以上に体を酷使し、全身に痛みが走っているのだろう。だがその痛みが、ますますゴライアスの暗示を強くする。

グオオオオッ!

獣じみた叫びと共に、ゴライアスの剣がアスナを襲う。細剣で受け流そうとするが、ゴライアスの膂力に押されて体勢を崩してしまった。

「アスナっ!」

「他人の心配をしている場合か!?」

アスナを助けようと飛び出したところに、エスの剣が突き出された。ピッと頬をかすめ、そこから肉を抉られたような痛みが走る。苦痛で息が詰まり、危うく倒れそうになる。

「くっ……」

「キリトくん!」

やはり、誰かがここを引き受けて、ペインキラーを持ってくるしかない。そのために、アスナを……。

「パパ、ママ、聞こえますか! パパ」

最初、その声がどこから聞こえてくるのかわからなかった。ユイが、ここにいるはずはない。だが、再度聞こえたとき、それが幻聴でないとようやく理解した。ユイが、廊下から俺たちを探している!

「ユイ、ここだ!」

「ユイちゃん!」

俺とアスナの声が、同時にユイを呼ぶ。その一瞬後、入り口の扉が勢いよく開いた。

「ここかっ、キリトっ!」

飛び込んできたのは、額に赤いバンダナを巻き、カタナを構えたサムライだった。

「ク、クライン……?」

考えもしなかった事態に、頭が真っ白になる。そして、飛んでしまった俺の思考力が戻ってくる前に、扉からは次々と仲間たちが入ってきた。

「アスナ、大丈夫だった!? 怪我はない?」

一直線にアスナに駆け寄る《絶剣》ユウキ。

「遅くなりましたが、どうやら間に合ったようですね。」

金色に輝く整合騎士の鎧を身にまとったアリス。

「よかった、無事だったんだねキリト」

蒼く輝く剣を手にしたユージオ。

「ユウキ、アリス、ユージオ……二人には、街の方の調査を頼んでいたのに……」

「ユイが連絡をくれたのです。キリトたちが苦境に陥っていると」

「アスナのピンチだって聞いたら、いてもたってもいられないよ!」

「ここのセキュリティは、ユイッペがバッチリ突破してくれたぜ?」

「ユウキ、みんな……ありがとう」

「さあアスナ。敵をちゃちゃっとやっつけちゃおう」

突然の侵入者に呆然としていたエスだが、ユウキの言葉で我に返ったようだ。再び、狂気じみた怒りの表情を浮かべてわめきちらす。

「たかが四人増えたところで、貴様らに勝ち目などないわ!」

だが、ユウキはそんなエスの様子にも全く動じる様子がない。

「ざーんねん、四人だけじゃないんだよねー。たぶんそろそろ……」

「遅くなったな。こっちのお嬢さんも無事だったぜ」

そう言いながら入ってきたのは、大きなバトルアックスを構えたシルエット

士……エギル。カエデも、エギルに肩を借りてふらつきながらも歩いている。

「カエデお姉ちゃん!」

「ごめんね、ライラちゃん。ミハエルも……」

「ううん、平気だから!」

そう言って頷くライラに、弱々しく手を上げて答えるカエデ。エギルが彼女を、俺たちから少し離れたミハエルのところへと連れて行った。

「クッ、グググ……」

エスの形相が、恐ろしくゆがむ。その曲がった口から、ヒステリックな声でゴライアスを呼んだ。

「コイツらを殺せ、ゴライアス!」

エスの命令に応じてゴライアスも吠え、空気がビリビリと震えた。

「あの大男、正気を失ってるのか。んで、あの偉そうな方が黒幕だな?」

「ああ、そうだ」

「なら、あの暴走野郎はオレたちに任せてくれ。お前は、大ボスをやっつけるんだ」

「……助かるよ、クライン」

「よーし、いっちょやるか!」

クラインの号令に、アリスたちが応じる。

「おうデカブツ、悪いがここは通行止めだ!」

クラインたちがゴライアスを引き受けてくれたおかげで、俺たちはエスとの戦いに集中できるようになった。怒り狂ったエスの攻撃は、かすっただけでも大ダメージとなる。それはさっき受けた頬の傷で思い知った。

だが、クラインやユージオたちが来てくれたおかげで、精神的にも余裕ができた。今は、エスの攻撃も見切ることができる。

「このクソどもがっ! 虫けらどもっ!」

全身を自ら作った傷だらけにしながら、エスが武器を振り回す。だが、もはやそれがヒットすることはない。

「いくら悪態をついても、お前の負けだ、エス。おとなしく観念しろ」

「……私が、負ける? そんなことは、許されない!」

血走った目で、辺りをキョロキョロと見回す。その視線が、ミハエルのところでピタリと止まった。

「そうだ、オマエ……ミハエルが、私の物になれば」

「なっ、ミハエル!?」

ミハエルは、戦いの場からは少し離れたところに、カエデと一緒に避難している。これまで、エスもゴライアスも狙わなかったから、油断していた。慌ててミハエルの元へ走るが、エスはもうミハエルの眼前まで迫っていた。

「さあ、私の物になれっ!」

「ミハエルッ!?」

ライラが必死に手を伸ばすが、エスには届かない。俺もアスナも、エスの攻撃を止めるには遠すぎる。

「はっはー! 我ながら完璧な勝利! 最後に笑うのは私なのだよ!」

エスが上段に構えた剣を、ミハエルの頭上に振り下ろす。もうだめだ、と諦めかけた時、ミハエルとエスの間に誰かが体を割り込ませた。

「完璧な勝利? そうかしら」

その人物は、手にした大剣をエスの腹に突き刺していた。

「カ……カエデお姉ちゃん!」

「この大剣は《ペインキラー》。PAACを解除するパッチが仕込まれている。そうよね、ミハエル君」

「そうです、カエデさん」

「それなら、これを使えばあなたの強さも……っ!」

「ぐ、ぐふっ……」

エスの手から、振り上げた剣が落ちる。刺さった剣を必死に抜こうと刀身を掴むが、押し返せない。逆に、カエデは力を入れて刀身を押し込んだ。

「ち、力が……抜けるっ……!」

「よくも、よくもお父さんをひどい目に……っ!」

「う、うおおおおおおっ!」

「お父さんの……かたきっ!」

ペインキラーの刀身が、エスの体を貫通する。PAACの暗示が切れ、エスの体がぐにゃり、と脱力した。カエデが剣を引き抜くと、そのまま後ろに倒れて動かなくなる。

グガアアッ!

それと同時に、ゴライアスも轟くような悲鳴を上げて、動きを止めた。

「ど、どうして、私が……」

地面に這いつくばって、エスが声を絞り出す。PAACの暗示の反動で、体がうまく動かないのだろう。

「ご、ゴライアス! こいつらを殺せ……命令だ!」

「無理を、言うな……あんたのせい、で……オレの体は、ボロボロ、だ……」

ゴライアスは、消え入りそうな声で答える。あれだけのダメージとPAACの反動がありながら、意識があるだけでも奇跡的だ。

「おい、誰かいないのか! 侵入者を排除しろ! そうしたら報奨金を出すぞ!」

「虚飾を剥がされた者はこんなにも哀れなのですね」

未だに自力で起き上がることができないエスに、アリスが哀れみの目を向ける。

「こんな奴が、ミハエルを……」

そうつぶやくライラに、カエデがそっとペインキラーを渡した。

「これ……ライラちゃんが持つべきだよね。今さら、ごめんだなんて言えないけど、全部終わりにしてくれる?」

「……うん、わかった」

剣を受け取って、ライラはエスを見下ろした。刺されると思ったのか、エスはひいっと悲鳴を上げる。

「……立って」

「えっ……」

「立てと言っているんだ!」

ライラの怒号に、エスは縮こまりながら、必死に立ち上がる。

「エス、勝負だ」

「勝負……?」

「ああ、ここからは純粋な《クロスエッジ》のルールで、私と勝負しろ。ちゃんとおまけもしてやるぞ。お前の大好きなPAACを使って、痛覚を最大にしてやる」

「さ、最大……?」

エスが恐怖で後ずさる。今の体で激しい痛みを受けたら、それこそ精神が持たないだろう。

「私の方も、ちゃんと同じ設定だ。一撃でも当たれば、お前の勝ちだぞ」

一見、無謀に思えるライラの申し出。だが、俺には何となくわかった。ライラは、エスの精神をとことんまで追い詰めるのだろう。二度と、こんな悪辣な事件を起こさないように。

「さあ、かかってこい」

「くっ……!」

しばらく躊躇していたが、やがて覚悟を決めたエスが剣を振る。だがそれも腰が引けており、目をつぶっていてもかわせるほどだ。

「……その程度か」

続く二撃目を大剣の腹で受け、エスの剣を弾き飛ばす。とっさに頭をかばうエスの喉元に、ライラは切っ先を向ける。

「これを、あと少しだけ前に出せば、その喉に突き刺さる。そうすれば、お前の大好きなPAACの痛みを味わうことができるぞ」

「わ、わかった……私の負けだ、負けを認める! だから剣を引いてくれ!」

「………………」

ライラは剣を突きつけたまま動かない。

「ク、クロスエッジからは手を引く。それでいいだろう……足りないか? なら金はどうだ? いくらほしい……」

「そんなものはいらない!」

「ひいっ!」

ライラが剣を突き出し、エスがとっさに体を引く。その勢いが強すぎて、そのまま後ろに尻餅をついた。

「謝るんだ。ミハエルと、カエデお姉ちゃんに」

「謝る……?」

「それから、カエデお姉ちゃんの家族にもだ」

「わかった、謝る! 申し訳なかった……反省している! もう二度とクロスエッジにも、お前たちにも手を出さない!」

エスは土下座して、額を床にこすりつける。エス以外、誰も一言も発しなかった。エスの後頭部をじっと見ていたライラは、やがてカエデとミハエルに視線を向けた。

「ありがとう、ライラちゃん。もういいよ、こんなヤツ」

「僕も、もう大丈夫。ありがとう、姉さん」

三人はお互いに涙目に鳴って、ぎゅっと肩を抱き合う。

その間もエスは、土下座の姿勢のままうめき声を上げていた。

「なるほど、こうすれば二度と邪な企みをすることはないでしょうね」

「偉そうなヤツほど、負けるとポッキリ折れちまうからなあ」

「でも、みんな無事で本当によかったね」

アリス、クライン、ユージオが興味深そうに話している。ユウキは、ユイと一緒にアスナが無事かどうか確認しているようだ。

「これでようやく終わりか」

エギルが俺の隣に立って、ため息をついた。

「幽霊の噂が、また大変な事件になったもんだ」

お互い、顔を見合わせて苦笑する。

「ああ、まったくだ」

「ついにやったな、ライラ」

「ああ、ありがとうキリト。それにみんなも、みんなのおかげで、ミハエルを無事に救い出すことができた」

「僕からもお礼を言わせてください。ありがとうございました」

「例なんて必要ないよ。俺たちにも、目的はあったんだから。それより、PAACの設定を戻しちゃおうぜ」

「そうだな。行こう、ミハエル。カエデお姉ちゃんも」

ライラたちは、ペインキラーを盛ってコントロールルームに向かった。これで、クロスエッジも元通りになるだろう。

「さてと……後はあんただな、ゴライアス」

さっきまで気を失っていたゴライアスだが、ようやく目覚めて、今は立ち上がっている。

「ああ、わかってる。やっぱりオレも成敗されんのか?」

「いや、責任はエスにあるんだ。なにもする気はないよ」

「そいつはありがてえ。なら、とっととおさらばさせてもらうとするか」

ゴライアスの動きは、さっきまで気絶していたとは思えない。本当にタフなヤツなんだな、こいつは。

ゴライアスは早足で扉に向かい、出て行く直前にこちらを見た。

「いろいろ悪かったな。またどこかであったら、戦おうぜ」

「ああ、わかったよ」

最後までブレないまま、ゴライアスは出て行った。

「これで、やっと一件落着だな」

「そうね……色々大変だったけど、キリトくんが無事でよかった」

「ああ、アスナも。そしてみんなもな」

その後、クロスエッジで行われていた陰謀は明らかになり、エプシロン日本支部は解体された。社長であるエスこと江利川は、誘拐・監禁など複数の罪に問われ、現在も警察で取り調べを受けている。一連の報道で、クロスエッジの人気はかなり落ち、ユーザー数も減ってしまった。だがその一方で、MRSを活用した仮想空間でのリハビリ医療が注目され、少しずつ評判も回復している。

ライラたちも後処理に追われ、忙しい日々を送っていたようだ。昨日になってようやく落ち着いたと連絡があり、今は久しぶりにクロスエッジにログインし、ライラたちと会っていた。

「それじゃ、ミハエルの体はまだ本調子じゃないのか」

「はい、監禁生活が長かったのと、仮想世界で受けた痛みの影響が出てしまって。まだ少し足が不自由なんです。でも、ちゃんとリハビリをすればよくなると言われました」

「だから、まだ安静にしてた方がいいのに……ミハエルはしょっちゅう病院を歩き回っているんだ」

「お医者さんからは、体を動かした方が治りが早いって言われたよ」

ミハエルがそう言うと、ライラは「そうかもしれないけど……」と膨れる。こんな、年相応のライラを見たのは初めてかもしれないな。

その後アスナと合流し、さらにみんなを呼んで事件の解決を祝った。カエデは、ミハエルの誘拐に関与しているという疑いがかかったものの、首謀者である江利川が「自分一人でやった」と強硬に主張しており、さらにミハエルの釈明もあって、大きな罪には問われないようだ。下等な部下たちは自分の指示に従っていただけ、という理屈らしい。

最後に、気になるのは偽PoHの行方だが……こればかりは、誰も知らないらしい。

「あの、フードの男……大丈夫かな」

「どうだろうな……」

ライラの不安を払拭してあげたいが、本物のPoHを喚び出してしまったほどの執念は侮れない。

「でも、クロスエッジで出会ったら、また倒してやるさ」

「確かにそうだな。今はMRSの悪用なんてされてないし、次はやっつけてやる!」

「………………」

クロスエッジ内、廃墟エリア。

偽PoH、と呼ばれていたフードの男が廃墟の一室でうずくまっていた。

この男は、アンダーワールドでの異界大戦に参加したプレイヤーだった。PoHの扇動を見て興味本位で参加したが、そこでのリアルな戦闘の空気と、PoHの持つ悪のカリスマに魅せられてしまった。PoHを教祖とした狂信者のように。キリトとの死闘の末にPoHが敗れてしまった後は、信じた存在がなくなったことに耐えられず、いつしか自らをPoHと自認するようになっていった。それにエスが目を付け、キリトをおびき出すエサとして、クロスエッジに連れてきたのが、今回の事件の発端となる。

だが、クロスエッジ内、喚び出したPoHが再び破れてしまった。さらに、自らのアバターにPoHを顕現させたことで、記憶と人格はPoHに侵食され、すでに元の人格は崩壊しつつあった。

「あの人は……オレは負けない。何度でも甦って、黒の剣士の前に現れる」

聞こえないほど小さな声でつぶやきながら、男はゆらり、と立ち上がった。

「ショウタイムには、アンコールがつきものだからな」

「そうだ、これ見て! またバトルロイヤル大会があるんだって!」

数日後、みんなでクロスエッジにログインした。さっそくユウキがビラを取り出し、みんなに見せる。

「おお、次は大規模大会か。数十人規模のバトルロイヤルなんて、楽しみじゃねえか。腕が鳴るぜ」

「バトルロイヤル……って、どんな神聖語なんだろう? バトルは何となくわかるけど……」

みんな、楽しそうに大会について話す。

「オレはもちろん出るけど、二人はどうするんだ?」

「もちろん、私は出るぞ!」

「僕も、久しぶりに出ようかな。クロスエッジで遊ぶのは久しぶりだし」

「よーし、それじゃみんなで、クロスエッジを楽しもうぜ!」

ゲームシナリオ原案:すえばしけん
シナリオ構成・リライト:恩田竜太郎

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