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ツェリスカ

バースデー小説

「……ごめんなさい。今は仕事に集中したいから」

 二言、三言のやりとりを終え、通話を切る指先に迷いはなかった。しかしそれでも、水中にぽつりと落とされた墨汁のように、罪悪感と焦燥感が入り混じった感情が心に広がり、表情が曇る。
 だが、すぐにそれを振り払うように顔を上げた。

(――せっかくの楽しい飲み会なんだもの)

 余計なことを引きずる理由はない。そう自分に言い聞かせ、ツェリスカは足取りをはやめた。


 居酒屋の暖簾をくぐれば、すでに見慣れた顔が揃っていた。

「ごめんなさい、ちょっと遅れちゃったわね」
「なにかあった?」
「ちょっとね~」

 多忙なツェリスカを気遣うような表情に、軽く笑って心配ないと返す。気心の知れた仲間は、それ以上聞き出そうとしても仕方がないと判断したのか、それ以上は踏み込まず、話題を切り替えた。

 グラスが交わり、酒は進み、会話はいつも通り自然と弾んでいく。近々開催されそうなイベントのこと、武器のステータスやプレイヤー間の噂話、さらにそれぞれのリアルの近況――。リアルにおける情報量の多さや、アルコールによる高揚感も手伝ってか、話題が尽きることはない。こういう酒の席でのやり取りはやはり大人同士でないと。つくづく、共に戦ってきた年下の仲間たちとようやくお酒を酌み交わせるようになったことが嬉しくて仕方ない。

 気がつくと、一番上機嫌に話していたクレハが「なんか眠い……」と一言残し、そのまま机に突っ伏していた。

「……あら、今日は早かったわね」
「いつものこと」

 二人で顔を見合わせ、小さく笑い合ってクレハの様子を見守る。そのまま自然と会話は途切れ、穏やかな沈黙が訪れた。

「……今日、なにかあった?」

 不意に向けられた言葉に、ツェリスカは一瞬だけ目を細めた。

「そう見える?」
「見える」

 迷いのない即答に、これ以上誤魔化しても無駄だと察して、わずかに肩をすくめる。きっと最初のやりとりから、この話題を切り出す機会をうかがっていたのだろう。

「……最近ね、親戚からお見合いを勧められていて」

 日本酒の入った猪口の縁を指でなぞりながら、努めて冷静であろうと淡々とした調子で続ける。

「迷惑してる?」
「……気持ちは嬉しいわ」

 実際、連絡のやりとりや煩わしさがないとは言えない。しかし、純粋に自分を思いやってのことだというのも、十分に伝わっている。

「別に結婚願望がないわけじゃないの。でも……そこまで強く望んでいるわけでもなくて」

 自分の感情を確かめるように、ゆっくりと言葉を選ぶ。

「仕事もあるし……あなたも知ってのとおり、趣味も充実してるから。それを理解してくれる人がいいとは思うけど……」

 苦笑を交えながら、一瞬だけ相手の表情をうかがう。憂鬱の本当の種――本心は、その先にある。

「結婚した方がいいのかしらって、つい考えてしまうのよね」

 どう思う?と問いかけるように視線を上げる。相手は何も言わずに聞いているが、その瞳に揺らぎが見える。
 その姿に、ツェリスカの心の奥に、わずかな悪戯心が芽を出し始めた。

「……ねぇ」

 顔を上げ、笑みを深めて軽い調子で問いかける。

「――あなたが私と結婚してくれたら、全部まるっと解決すると思わない?」



「えっ……」

 予想通りの反応に、思わず笑みがこぼれる。

「だってそうじゃない? お互いのことをよく理解していて、趣味も同じだし、変な気もつかわないし……」

 言葉を重ねながら、テーブルから身を乗り出して、少しだけ距離を詰める。相手を確実に仕留めるためには、追撃の手を決して緩めてはならない――ゲーマーの鉄則だ。

「悪くないと思わない?」

 言葉を探すその表情に、確かな手応えを感じる。相手の手数を削りきり、手番を渡した。そのまま沈黙を落とし、さあ、あなたはどう出るの?と瞳で問いかける。
 そして、一瞬の躊躇の後、何か言おうと相手が口を開きかけた、その矢先――。

「ちょっと待ったぁ!」

 勢いよく顔を上げたクレハが割り込んできた。

「なにそれ!? 今の絶対ダメなやつじゃない!?」
「あら、起きてたの」
「今起きた!」

 警戒をあらわにして騒ぐクレハを見て、ツェリスカは肩をすくめ、面白がるようにいつも通りの笑みを浮かべる。

「冗談よ~?」

 ツェリスカはあっさりと引いて、持て余していた日本酒を傾ける。

「ほんとに冗談!?」
「あら、信じてくれないの?」

 わあわあと騒ぐクレハの声に、場の空気は一気に賑やかさを取り戻す。

(――いい気分転換になったわね)

 クレハをなだめる幼なじみの姿は、いつも通りの可愛らしいものだ。きっと、先ほどの言葉も酒に酔った冗談だと思って、そのうち忘れてしまうだろう。
 それでも、先ほどまでツェリスカの胸の奥にあった重さは、少しだけ軽くなっていた。

 しかし――ふとした拍子に、考えてしまう。

(もし、本当に――)

 居酒屋のやわらかな灯りの下、猪口を手にしたまま、クレハをなだめるその横顔をほんの一瞬だけ見つめる。

(……悪くない、どころじゃないと思うのよね)

 そんな考えを、騒ぐ二人に気づかれないよう胸の奥へと沈め、ツェリスカは再び笑みを浮かべた。

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