ソードアートオンライン アンリーシュ・ブレイディング

ソードアート・オンライン
アンリーシュ・ブレイディング

《黒皇帝》編 第一話

「うわぁ……ここが、人界。聞いてはいたけど、暗黒界とは全然違う」
 シルヴィーは、初めて降り立ったセントリアの街並みを見て、驚愕の声を上げた。
「食べ物が、あんなにたくさん並んでる! それに、木や水もたくさんあって……」
 つい屋台の方へ一歩踏み出しそうになり、シルヴィーは慌てて首を振った。初めて見る人界の豊かさに圧倒されてしまったが、自分はほかの暗黒界人のように、物見遊山で来たわけではない。父と母を殺した仇を探すため、そしてその仇を倒すために、人界人の剣技や暗黒術を盗んで強くなるために、シルヴィーは人界へやってきたのだ。
 「そのために、なりたくもない留学生になんてなったんだから……」

「はあああっ!」
 気迫と共にシルヴィーが突き出した剣が、シェータの首を鋭く襲う。だがシェータはシルヴィーの渾身の突きを軽くかわし、手刀でシルヴィーの右腕を打った。
「うっ……!」
 軽く叩いたように見えたが、シルヴィーの腕はしびれて思わず剣を取り落としてしまう。それを見ると、シェータはシルヴィーから視線を逸らし、
「次」
と小さくつぶやいた。
 シルヴィーが弱いのではない。ここに居並ぶ暗黒騎士の中でも、シルヴィーの実力は上位に入るだろう。だが、剣技だけであればかつて整合騎士を率いた騎士長・ベルクーリすら凌駕する、とも言われたシェータ・シンセシス・トゥエルブには、剣を受けてもらうことすら出来なかった。

「くそ……今日もあの女師範に勝てなかった」
シルヴィーたち暗黒騎士団は、定期的にシェータに稽古をつけてもらっている。人界人、しかも整合騎士に教わるなど屈辱の極みだが、シェータが自分より強いことは動かせない事実だ。ならば、今はその悔しさを押し殺して稽古に励むしかない。
肩を落として修練場を出て行こうとするシルヴィーを、シェータが後ろから呼び止めた。
「シルヴィー、ちょっといい?」
「……なに」
 内心、相手が自分の名前を知っていることに驚きながら、その感情を表に出さないよう振り返る。
「少し、話したいことがある」
「私には、話したいことなんてない。それじゃ……」
 そう言って再び背を向けるシルヴィーに、シェータは先ほどまでと変わらない、静かな調子で声を掛けた。
「……あなたがもっと強くなれるかもしれない話だけど」
「……強くなれる?」
 無視するつもりだったが、思わず聞き返してしまった。強くなって両親の仇を討つ。それが今の、シルヴィーの生きる理由だ。強くなるかもしれないと言われて、それをやり過ごすことは出来ない。
「興味があるなら、話を聞いて」
 そう言うシェータの目を、シルヴィーはじっと見る。シェータの目からは、稽古の時と同じように感情を読み取ることは出来ない。だが、嘘をついている様子もない。そもそも、シェータがシルヴィーを騙して、なんの得があるのだろうか。
 そう考え、シルヴィーは「……聞くだけなら」と小さく口に出して頷いた。

「人界への留学生!?」
「そう。人界と暗黒界では剣術と神聖術、どちらもまったく違う発展をしている。両方の技術を学ぶことは有益だと思う。よかったら……」
「人界なんて、行かない!」
 シルヴィーの声がシェータの説明を遮った。シルヴィーの剣幕に、シェータは少しだけ目を大きくする。
「人界なんて、絶対……」
 さらに怒りの言葉を続けようとするが、目の前にいるのが師範であることを思い出し、かろうじて自制する。そして、自分を落ち着かせるために、大きく息を吐き出した。
「……話はそれだけか? なら、これで」
 そう言って足早に出て行くシルヴィーを見ながら、シェータはぽつりとつぶやいた。
「……悪いことを、しちゃったかな」

 自室に戻って扉を閉めると、粗末な造りのベッドに体を投げ出し、シルヴィーは抑えていた怒りを吐き出した。
「なんだ、あの女! よりによって、私を人界になんて!!!」
 声が大きく響かないよう、顔を枕に押しつける。それでも、くぐもった声が部屋の中に響き渡った。
「人界のヤツらは、父さまと母さまを殺した仇だ! そんなところ、絶対……」
シルヴィーの声は、少しずつ小さくなる。やがて顔を上げると、枕元に置いてある剣を手元に引き寄せた。自分が発見し、暗黒騎士団長シャスターから下賜された剣。正騎士だった両親でも、この剣を自在に振るうことは出来なかった。だからこそ、今もこうしてシルヴィーのもとにあるのだが。シルヴィーには、持ち上げることすら難しい。
 日課となっている剣の手入れを行いながら、シルヴィーはシェータの言葉を思い出した。
「暗黒界とは違う剣術、か……」

 翌日、シルヴィーはシェータを呼び止め、留学生となることを申し出た。シルヴィーから出した条件は、両親から譲られた剣を持っていくことだけ。無論シェータが拒否することはなかった。

「やった、かわいい女の子! よくやってくれたわ、シェータ!」
 留学生になることが決まってから一週間。人界への案内人が来た、と言われて修練場へ向かったシルヴィーを、その場にはそぐわない歓声が出迎えた。
「ええ。彼女が留学生のシルヴィー」
「そう。こんにちは、シルヴィー。あたしはイーディス。よろしくね!」

 そう言うと、イーディスと名乗った相手はいきなり右手を突き出してきた。確か、握手とかいう挨拶だ。だが、初対面の人界人に、そこまで心を許すつもりはなかった。
 だがイーディスは、無理やりにシルヴィーの手を取ると、ブンブンと上下に振る。振り払おうとしても、意外な力で外すことが出来なかった。
「これから人界まで一緒だからね。ちゃんと挨拶しないと」
 シルヴィーの手を握ったまま、イーディスは思案顔になる。
「あー、でもこんなかわいい子と人界まででさよならっていうのは寂しいわね。キリトに頼んで、人界でしばらくのんびりしようかな」
「そうすれば、シルヴィーとも一緒にいられるし。ね、いいアイデアだと思わない?」
 そうまくし立てられて、シルヴィーは何も答えられなかった。「ね?」と重ねて尋ねられて、ようやく「……知らないけど」と言葉を絞り出す。
「あ、アイデアっていう言葉は知らないわよね。これは《思いつき》とか《考え》って言う神聖語なの! キリトがね、すぐ神聖語を使うからあたしも覚えちゃった」
 シルヴィーの反応には構わず、イーディスはしゃべり続ける。
「シャーリーっていう子が、先に暗黒界から人界に行ってるの」
 そう言うと、イーディスは困り顔のシルヴィーに笑いかけた。その無邪気さに、思わず先ほどまでの警戒を解いてしまう。
「不安だと思うけど、人界のことはシャーリーが教えてくれるから、安心してね。それに、あたしやみんなも教えるから」
「別に、怖くなんかない」
 警戒を解いてしまった自分を反省し、わざとつっけんどんな言い方をする。だが、イーディスには伝わっていないのか、
「あら、強いわね。それじゃさっそく行きましょうか。それじゃ、またね。シェータ」
「うん。いってらっしゃい、シルヴィー」
「………………」
 こうして、あまりにも素っ気なく、シルヴィーの人界への旅は始まった。そして、数週間の旅程を経て、人界の中枢であるセントリアに辿り着いたのである。

「お疲れさま。ここがセントラル・カセドラルよ、シルヴィー」
「……整合騎士は、みんなここにいるのか?」
「基本的にはねー。ただ、任務やら何やらでいない人も多いかな。あたしやエントキア、ネルギウスもよく暗黒界に行ってるしね」
 ならば、両親の仇もここにいるのだろうか。それとも、どこか別の場所に……そうシルヴィーが考えを巡らせていたとき、遠くから女性の声が聞こえた。そちらを見ると、女性がふたりこちらへ走ってくる。
「イーディス様!」
「留学生の方をお迎えに来ました!」
ひとりは赤髪、もうひとりは茶色の髪だ。どちらもシルヴィーとそう年が変わらないように見えるが、ふたりとも立派な鎧を身につけている。
「やっほー、ふたりとも。この子が留学生のシルヴィーよ。シルヴィー、ふたりは整合騎士のティーゼとロニエ」
「整合騎士……?」
 シルヴィーは目を見開いた。確かに立派な鎧だとは思ったが、まさか整合騎士だとは思わなかったのだ。
「こんにちは、シルヴィーさん。私はロニエ・アラベル・サーティスリー」
茶色の髪の女性騎士が、にこっと笑いかけてきた。とりあえず、頷いて返事をしておく。
「あたしは、ティーゼ・シュトリーネン・サーティツー。これからよろしくね」
赤毛の方は、鎧に加えて精巧な造りの剣を腰に下げている。シルヴィーの持つ剣と同様に、かなりの業物だろう。
「もしかして、長旅で疲れちゃったかな。オブシディア城から来たんだもんね」
「あたしとロニエでカセドラルを案内しようと思ったんだけど、明日にしようか」
 警戒、それに驚きで黙っているシルヴィーを見て、ふたりは勘違いをしたようだ。疲れているのも事実だが、人界人の前でそんな素振りを見せるわけにはいかない。
「別に、疲れてないからいい」
「本当に? 大丈夫なら、案内するけど」
「えー、明日にしない? 今日はこれからキリトに呼ばれてるのよ。明日なら、あたしも一緒に案内できるから」
 イーディスが不満そうに声を上げた。だが、案内ならこっちのふたりにしてもらう方がいい。ここまでの旅路で、イーディスの距離感の近さにシルヴィーは辟易していた。
「やることは早めに済ませたい。すぐ剣術の稽古をやりたいから」
「おお、シルヴィーさん、やる気十分だね。それじゃ案内しよう、ロニエ」
「うん。イーディス様は、キリト先輩がお待ちですので……」
 ロニエにそう言われて、渋々イーディスは頷いた。
「しょうがないなあ……まったく、キリトのやつったら……それじゃまたね、シルヴィー! あたしもしばらくはカセドラルにいられると思うから」
 イーディスに手を振られて、一応挨拶はしておく。ここでもまだあの相手に絡まれるのかと思うと、少々憂鬱だが。
「それじゃ、まずは剣術師範のデュソルバート様のところから行きましょうか」

剣術師範のデュソルバート、神聖術の授業を受け持つソネス、そのほか食堂や浴場などを案内され、終わったときにはもう日暮れ時を迎えていた。
「これで、一通り回ったかな。お疲れさま、シルヴィーさん」
ロニエは相変わらずの笑顔でシルヴィーに接する。
「明日は、午前中が神聖術の授業で、午後はデュソルバート師範の剣術ね。迎えに来た方がいいかな?」
 ティーゼの申し出にシルヴィーは首を振った。
「必要ない」
「わかった。それじゃ、また明日」
「今日はゆっくり休んでね、シルヴィーさん」
 そう言って去って行くふたりを見送りながら、シルヴィーは声に出さず、口の中でつぶやいた。
「整合騎士には何人か会ったけど、父さまと母さまの仇は……大きな剣を持った男の整合騎士はいなかった。ここにいない人もいるってイーディスが言ってたけど、そいつも外にいるのかな……」
 仇を見つけられなくて残念な気持ちが半分。もう半分は、まだ戦わなくていいという安堵の気持ちだ。
「でも、今は自分を鍛える方が先だ。あの剣術師範も強そうだったし」
 自分を励ますように、剣の柄を握る。獣の骨のように見えるその剣は、触るとひんやりと冷たく、なめらかで、シルヴィーの心を落ち着かせてくれた。
「……さすがに、ちょっと疲れた。部屋で休もう」

「おっ、お前が新しく来た留学生か!?」
 留学生用宿舎の部屋に入ると、大きな声がシルヴィーを出迎えた。
「うわっ!?」
 シルヴィーは思わず剣に手をかけて声の主を見る。その相手は、褐色の肌に銀髪で、親しげに笑いかけていた。
「あ、驚かせてゴメン。あたしはシャーリー。お前と同じ、暗黒界からの留学生だ」
「よろしくな!」
 シャーリー……ロニエたちが先ほど言っていた暗黒界人の留学生だ。同じ暗黒界人だとわかって、シルヴィーは剣から手を離した。
「私はシルヴィー、暗黒騎士だ。こちらこそよろしく」
「暗黒界人にあったのは久しぶりだけど、なんだか嬉しいな!」
「私もだ。周りに人界人しかいないと、落ち着かなくて」
 ずっと張り詰めていた緊張が、スッとほどける。オブシディア城からずっと人界人と一緒で、シルヴィーはずっと気を張っていた。しかも、出会った暗黒界人は同じ女性で、年の頃も近かった。
「わたしも、最初はそうだった。術のやり方とかも、全然違うし。だってここでは《暗黒術》のことを《神聖術》なんて呼ぶんだ!」
「ああ、確かにそう言っていた。暗黒術が正しいのにな」
「そうそう。まったく、わかってないんだから!」
 そう言うと、ふたりは顔を合わせて同時にくすくすと笑い出した。思えば、こんな風に笑ったのはとても久しぶりな気がした。
「シルヴィーとは仲良くなれそうでよかった!」
「私も、シャーリーが一緒でよかった。同じ部屋の留学生って、どんな人だろうって思ってたから。これからよろしく、シャーリー」
「うん!」

 共に夕食を食べ終えて、ふたりはすっかり打ち解け合っていた。
「シャーリーは、ここに来てもう長いの?」
「そうだな……二ヶ月くらいだ。もう人界の暗黒術も、かなり使えるようになったぞ!」
「二ヶ月か。なら、大きな剣を持った、男の整合騎士を知ってる?」
 それだけ長くいたなら、シャーリーなら見ているかもしれない。そう思ったが、シャーリーは首を横に振った。
「大きな剣を持った男は知らないなあ。イーディスとファナティオは剣を持ってるけど、女だし」
 シャーリーは真面目な表情になってシルヴィーを見た。
「シルヴィーは、その男を探しに来たのか?」
「……まあ、そんなところ」
 両親の仇、とは言えず、シルヴィーは曖昧な言葉でごまかした。
「そうか、シャーリーも知らないんだ」
「ごめんな。でも、見つかるといいな、その整合騎士!」
 シャーリーの笑顔に、シルヴィーも思わず相好を崩す。
「わたしの目的は、強くなってリピア様の仇であるイーディスを倒すことだ!」
「イーディスって、あの整合騎士? あいつ、リピア様の仇なんだ……」
 シャーリーも自分と同じく仇を狙っている、と知ってシルヴィーは嬉しくなった。シャーリーとは気が合うが、目的も一緒ならますます協力できるかもしれない。
「シャーリーも仇討ちに来たんだね。よかった……シャーリー、一緒に強くなって、絶対に人界人たちを倒そうね!」
「人界人を倒す……?」
 シルヴィーの熱の籠もった言葉に、シャーリーは不思議そうな顔をした。
「そう。そうすれば、人界との平和なんて終わって、また前みたいに戻るでしょ?」
「前に戻るって……それはまた、戦争が起きるってこと?」
 シャーリーの言葉には嫌悪が籠もっていた。シルヴィーは少し不安になる。シャーリーは人界人を倒したい、と言っているのに、どうして人界人と戦うのを嫌がるんだろう。
「人界のヤツらが戦うって言うなら、そうなるかも……でも、今度は負けないから!」
 シルヴィーはシャーリーに強く言い聞かせたが、シャーリーは首をブンブンと横に振って否定した。
「戦争が起きるのは……わたしは嫌だ。また孤児院のみんなが苦しむことになるし」
「え……」
「わたしは、イーディスを倒すのが目標だけど、全部の人界人を嫌いなわけじゃないよ」
「どうして!? だって、人界人は暗黒界の敵だったんだよ!」
 人界との戦争で、多くの暗黒界人が死んだ。シルヴィーの両親も、人界の整合騎士に倒されたんだ。多くの暗黒界人が、自分と同じ気持ちを持っていると、シルヴィーは思っていた。
「イーディスはリピア様の仇だけど、リピア様を殺したわけじゃない。リピア様を殺したのは皇帝ベクタだ。そいつは、整合騎士とキリトがやっつけたって聞いてる」
 皇帝がリピア様を殺した? シルヴィーは初耳だった。だが、シャーリーが嘘をついているようには思えなかった。
「わたしは、リピア様がつけられなかったイーディスとの決着をつけるために、イーディスと戦うんだ」
 そう答えるシャーリーの言葉には、なぜか仇であるイーディスへの親愛が籠もっているように感じられた。敵同士、であるはずなのに。
「アスナは料理を教えてくれるし、ロニエとティーゼも優しいし、わたしは人界人のことが好きだぞ」
 シルヴィーには、何も答えられなかった。暗黒界人同士、同じ目的を持って、一緒に戦えると思ったのに。
「……私の両親は、整合騎士に殺された」
 それを聞いて、シャーリーは目を伏せる。
「だから、仲良くするなんて出来ない」
「そうか……仇は、取らないといけないよな」
 シャーリーだって、もしリピアを殺した皇帝が生きていたら、必ず倒すと誓っただろう。シルヴィーの想いを否定することは出来ない。
「さっき言ってた、大きな剣を持った整合騎士が相手なんだな。でも、人界人は強いぞ」
「そんなこと知ってる! だから人界人の技を盗みに来たんだ! そして、いつか……」
 倒す。大きな剣を持った男も、暗黒界で大きな顔をしているシェータも。
「……もう寝る」
 だがそれを、人界人を好きだというシャーリーの前で口には出来なかった。
「……うん、おやすみ。また明日な、シルヴィー」

ストーリー トップへ戻る
βeater's cafeトップへ戻る
ページの先頭へ