ソードアートオンライン アンリーシュ・ブレイディング

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アンリーシュ・ブレイディング

《黒皇帝》編 第四話

 セントリアから馬車で一日ほど行ったところに、やや大きめの街がある。人界統一会議によって直轄領が解放されて以降、この街には新たな天職を求める住民が流入し、簡易宿泊所や宿屋は混み合っていた。リネル・シンセシス・トゥエニエイトとフィゼル・シンセシス・トゥエニナインが泊まっているのは、その中でも最もランクが下の安宿だった。

「あ、ゼル。おかえりなさい」
「ただいま、ネル。あー、疲れた」
 部屋に入るなり、フィゼルは外套も脱がずに、粗末なベッドに体を投げ出した。
「ゼル、上着くらい脱いでください」
「えー面倒くさい」
「ダメです。ほら、体を起こして。ちゃんと片付けたら、お茶を入れますから」
 リネルにお茶を入れる、と言われてしぶしぶフィゼルは外套を脱ぐ。
「情報は手に入りましたか?」
「もちろん! バッチリ手に入ったよ!」
 疲労で不機嫌そうだったフィゼルの顔がパッと輝く。
「やっぱり、元皇帝の近衛兵たちが武器と食料を買い込んでた。それを売ってる商人も仲間だね。表向きは普通のお店だったけど」
「私の方も、怪しいと思っていた場所を調べて、潜伏先を特定しました」
 お茶の入ったカップをフィゼルに差し出して、リネルは壁に貼ってある地図を見る。
「元々は、皇帝の直轄領だった場所ですね。郊外の屋敷に、武器を持った人間が出入りしていました。馬車で何かを運び込んでいるところも見ましたよ」
「それはたぶん食料かな。これでやっと証拠が揃ったね。けっこう時間がかかっちゃったなあ」
「しょうがありませんよ。元近衛兵の人たちは、みんな地下に潜っちゃったんですから」

 フィゼルとリネルは、人界統一会議の情報局長・シャオに命じられて、西帝国にいる反乱分子の調査を行っていた。四帝国の大乱で、西帝国皇帝のアルダレス・ウェスダラス五世は帝城に立てこもり、人界軍と激しく戦った。最期はファナティオの記憶解放術により帝城ごと焼き尽くされて死んだと目されているが、遺体は発見されていない。そのため「アルダレス皇帝はまだ生きている」と一部の元近衛兵たちが反乱を画策しているという噂がある。

「いくら死体が見つからないって言っても、生きてるっているのは無理があるよねー」
「でも、死んだはずの北帝国の皇帝が生きていたみたいですし……」
 リネルが言っているのは、暗黒界からのゴブリン行方不明事件中、ロニエとティーゼが遭遇した北帝国皇帝・クルーガ・ノーランガルス六世のことだ。一部の整合騎士からは、クルーガを名乗る偽物ではないかという意見も合ったが、キリトは「直接立ち会ったロニエとティーゼがそう言うなら、クルーガに間違いない」という結論を出している。

「ま、今回見つけた拠点に皇帝がいるとは思わないけどさ、さっさと潰しちゃうに越したことはないよね」
「はい。戦力的にも、私たちふたりで制圧できる規模だと思います」
「とーぜん! だってあたしたちは正式な整合騎士なんだし!」
 フィゼルは自信満々に豪語した。実際、修練場での試合でも、ふたりはロニエとティーゼに負けることは少ない。これが、地形や状況などを利用できる実戦であれば、レンリやデュソルバートでもふたりに勝つことは難しいだろう。
「ささっとやっつけて、早くカセドラルに戻ろう。もう、ここの狭いお風呂は嫌だよ」
「食事もあまりおいしくないですしね。毎日パンとお芋のスープばっかりで」
「ホントはもっといい宿にだって泊まれるのにさ。シャオ局長が目立ったらダメだっていうから……」
 フィゼルはシャオへの不満を吐き出していたが、ふと目をかがやせて叫んだ。
「そうだ! 帰ったらアスナさまにお菓子を作ってもらおう! 反乱軍の拠点を潰したんだし、そのくらいご褒美でもらってもいいよね!」
「もちろんです! アスナさまだったら、絶対にいいっておっしゃってくれます。アスナさまは優しいですから」
「アスナさまのお菓子、楽しみだなー。よーし、絶対明日で終わらせるよ、ネル!」
「はいっ!」

 翌日、フィゼルとリネルは元近衛兵たちの潜伏先と思われる屋敷に向かった。屋敷は街道から外れた郊外にあり、人通りはほとんどない。だが、離れた場所から屋敷を伺うと、門には武器を構えた男が立っており、中にも数人の気配が感じられる。アイコンタクトをかわしてうなずき合うと、フィゼルは足音を殺して見張りの後ろに回り込んだ。リネルはその間、ほかに見張りがこないかどうか注意深く目を光らせている。

 フィゼルは門のそばの茂みにしゃがみこむと、小さな声で式句を唱えた。音もなく光素の粒が生まれ、ふよふよと漂い始める。やがて、見張りのすぐ目の前に辿り着き、動きを止めた。
「なんだこれは……」
 男が手を伸ばすと、光の粒はスルッと逃げる。
「んっと」
 見張りは一歩踏み出して捕まえようとする。だが光素はゆらゆらと、男をからかうように離れていく。
「くそっ」
 ついムキになった男が、門から一歩踏み出す。その背後にフィゼルが音もなく忍び寄り、剣の柄で男の首筋を叩いた。
「ぐっ……」
 倒れるところを受け止め、リネルに手招きする。リネルは周囲を確認し、早足で駆け寄った。そのまま、ふたりで茂みの中に隠す。
「よーしこれでオーケー……って、オーケーってこういう使い方でいいんだっけ?」
「たぶんいいと思いますよ。キリトさんもそんな感じで言ってましたし」
「だよね! それじゃ、ささっと制圧しちゃおうか!」
「はいっ」
 これから敵地に乗り込むとは思えないような、無邪気な雰囲気で笑い合うと、ふたりは門をくぐって屋敷内へ入っていった。

 裏口から屋敷に侵入し、出てきた敵を各個撃破する。驚くべきことに、ふたりは突入しても剣を鞘から抜いていない。それでもふたりが屋敷を制圧するのに要した時間は、ものの数分だった。
「あとはこの部屋だけだね、ネル」
「はい。立派な扉ですし、きっと親玉がいるはずです。キリトさんが話を聞きたがるでしょうから、殺しちゃダメですよ、ゼル。」
「わかってるって。面倒くさいけど、ちゃんとキリトに言われたとおりやってるってば。じゃあ、行くよ」
 フィゼルがまるで自分の部屋に入るように、無警戒で扉を開ける。そこには、それまでの兵士よりやや立派な鎧を着た男が、武器を構えて立っていた。
「こ、子どもだと……? こんなガキが……人界統一会議の手先だというのか!」
「こんな見た目だからって馬鹿にしてますね。少なくとも、あなたよりは強いですよ」
「そうそう。だから、大人しく降参してよ。そうすれば、痛い思いもしなくてすむからさ」
 リネルとフィゼルの余裕綽々の態度に、男の顔が紅潮する。だが、ふたりの剣気がわかっているのか、攻撃することが出来ない。そのまま数十秒が過ぎ、男の震える剣先が下りた。
「やっと諦めた? なら、武器を捨ててね」
 フィゼルがそう言い、リネルが相手に向けて踏み出そうとした瞬間、黒い影が扉の外に出現した。気配に気付くより早く、フィゼルが横殴りの打撃を受けて吹っ飛ばされる。
「ゼルっ!」
 リネルの声に、うめきを上げながら体を起こそうとする。だが、痛みと衝撃で体が自由に動かない。リネルは剣を抜き、相手に対しようと振り返った。だがリネルが後ろを向く前に、巨大な剣で脇腹を強打された。

「きゃっ……」
 強烈な一撃を受け、呼吸が止まる。それでも剣を構えようとするが、続く一撃でフィゼルが倒れているのと同じ場所に吹き飛ばされてしまった。
「くっ……」
 薄れゆく意識を必死につなぎ止め、相手の姿だけでも確認しようとする。幅がリネルの胴体ほどもある巨大な剣。堂々とした体躯。そして東方風の着流し。その姿に、リネルは確かに見覚えがあった。
「き、騎士長……?」

 ふたりが意識を取り戻したときには、すでに屋敷はもぬけの殻だった。敵の指揮官らしき男も、ふたりを攻撃した剣士もいない。それどころか、気絶させていた近衛兵たちも姿を消していた。
「失敗……しちゃいましたね」
「うん……」
 ふたりの声は暗い。その原因は、シャオから言われた使命を果たせなかったことだけではなかった。
「ゼル、見ましたか……?」
 誰を、と聞くことはしない。リネルが誰のことを言っているのか、当然フィゼルにもわかっていた。
「うん……あの剣、気配、それに強さ……騎士長サマ、だったよね。もちろん、今のファナティオおねーさまじゃなくて」
「はい……でも、ありえません。だってベルクーリ騎士長は、この前の戦争で……」
 リネルはそれ以上言葉を続けず、じっとフィゼルを見た。フィゼルも、リネルに返す言葉を思いつかない。
「……とにかく、キリトに伝えないと。急いでカセドラルに戻ろう」
「でも、この調査は……」
「もし本当に騎士長がいるなら、あたしたちだけじゃ絶対に勝てない。そうじゃなかったとしても、あんな強いヤツがいるなら、誰かに来てもらわないと」
「そう……ですね。でも……ファナティオ騎士長には……」
 リネルの言葉に、フィゼルが悲痛な表情を浮かべた。
「……キリトに任せちゃおう。きっとキリトなら、うまくやってくれるよ」
「そうですね。キリトさんなら、きっと大丈夫ですよね」
 ふたりは痛む体を起こし、お互いの体を支え合って屋敷を後にした。

「ええーっ、キリトいないの!?」
 セントラル・カセドラルの大広間に、フィゼルの大声が響き渡った。困った様子のアスナがフィゼルをなだめる。
「そうなの、ごめんねフィゼルちゃん、リネルちゃん」
「暗黒界で反乱が起きたなら仕方ないです。でも……」
「でも、キリトくんが留守でもファナティオさんとデュソルバートさんがいるから」
 リネルとフィゼルは顔を見合わせる。
「ファナティオさんはベルチェちゃんのところで、デュソルバートさんは剣術の稽古中かな。急いで呼んでくるから……」
そう言って大広間を出て行こうとするアスナを、フィゼルが慌てて呼び止めた。
「あっ、大丈夫!」
「え? 大丈夫って、何が大丈夫なの?」
「えーと、それは……ほら、ネル……あれだよね、あれ!」
フィゼルは困ってリネルの顔を見る。リネルは必死に頭を絞り、
「に、西帝国では、元近衛兵の首謀者を取り逃がしてしまったので、反乱が起きるかもしれないんです。だから、まずはアスナさまに状況を報告した方がいいと思うんです」
「そ、そう! すごく腕の立つ剣士もいたしね!」
ふたりの必死の弁解に、アスナはクエスチョンマークを浮かべながらも、もう一度椅子に腰を下ろした。
「それは、確かに重大な問題ね。それじゃ、まずわたしが話を聞くわ」
アスナの言葉に、ふたりは胸をなで下ろした。
「えーと、まずはそいつらの隠れ家があった場所だけど……」

 一通りの報告を終えて、フィゼルとリネルは大広間を出た。ファナティオたちへは、アスナが報告と説明を行ってくれることになり、ふたりには任務の疲れを癒やすための休息が与えられた。
「……ベルクーリ騎士長のこと、言えませんでしたね」
「また騎士長サマって決まったわけじゃないし。すごく強い剣士がいることは伝えたから、大丈夫でしょ」
「そうでしょうか……」
 不安そうなリネルと対照的に、リネルは怒りだした。
「キリトが悪いんだよ! こんな時にいないんだから」
「そうですね、キリトさんがいれば、全部お話しできたのに」
「そうそう。まったく、キリトってばさー」
 ひとしきりキリトのせいにして落ち着いたのか、ふたりの表情は少し明るくなった。
「どうせまた西帝国に行くことになるだろうから、今のうちに休んでおこ、ネル」
「はい。久しぶりに大きいお風呂でゆっくりしましょう、ゼル」
 キリトが帰ってくれば、キリトにこの事実が伝われば、全部解決する。フィゼルとリネルの中には、そんな根拠のない安心感がある。鎖で拘束された身で牢獄から抜けだし、整合騎士は疎か最高司祭をも倒してしまった黒い剣士。ふたりにとってキリト、そしてその相棒であるユージオは、不可能なことなんてなにもない英雄だ。それは、ふたりの居場所が公理教会から人界統一会議となった今でも変わらなかった。

 フィゼルとリネルが大浴場に入っている頃、大広間ではファナティオ、デュソルバート、レンリがアスナの話を聞いていた。
「西帝国で皇帝が? まさか、あの爆発と炎の中、本当に生き延びたとは……」
 帝城を焼き尽くしたファナティオが驚愕の表情を浮かべる。
「いえ、皇帝の生存を確認できたわけではないみたいです。でも、武器などを準備していたことを考えると、いつ反乱が起きてもおかしくはありません」
「それに、気になるのはフィゼルとリネルを倒したという剣士。あのふたりに気取られず背後を取るとは、我らでもそう容易いことではない」
「向こうの勢力に、整合騎士に匹敵する剣の使い手がいるということですね」
 デュソルバートとレンリの表情も深刻そうだ。整合騎士ひとりは、千の軍勢に匹敵する。それは異界戦争に参加した整合騎士自身が一番よくわかっていることだ。
「まずは、人界守備軍のセルルト将軍に来てもらおうと思います。それと、暗黒界のキリトくんに連絡して……」
 とアスナが話している途中、大広間の扉が勢いよく開かれた。血相を変えたロニエとティーゼが駆け込んでくる。
「ふたりとも、いきなり入ってくるとはどういうことだ。緊急会議中であるぞ」
「も、申し訳ありません!」
 恐縮するティーゼにアスナが声を掛けた。
「いいえ、かまわないわ。急ぎの用件なのでしょう。話してくれる?」
「に、西帝国の元皇帝直轄領に、兵士たちが集結しているとの連絡が入りました!」
 ロニエの報告に、ファナティオの顔が曇る。
「早すぎる……いえ、フィゼルたちに見つかったから蜂起を早めた、と言うことかしら」
「恐らくそうでしょう。至急対策を練らないと。ロニエさん、急いでセルルト将軍を呼んできてくれる?」
「かしこまりました!」 
 アスナの命を受け、ロニエが広間を駆け出していく。
「ティーゼさん、敵の数や武装はわかる?」
「いえ、まだ第一報が入った段階なので、詳細はわかっておりません。報告した衛士の方には、引き続き敵の規模と進軍速度を確認して欲しいと伝えましたが……」
「ありがとう。最善の対応だわ。じゃあ、敵の情報はそれを待つとしましょう」
 微笑むアスナに、ティーゼは深々と頭を下げる。
「副代表殿、早急に決めるべきは我らの対応でしょう。討って出るか、ここで守るか。討って出るのであれば、それ相応の準備が必要となるゆえ」
 キリトに加え、イーディス、ネルギウス、エントキアという整合騎士が不在なため、人界統一会議が動かせる戦力は限られる。部隊を編成するにも、もし出陣するとなれば武器や食料、矢や神聖術用の触媒といった物資を揃えなければならない。アスナはこうした事情を計算しつつ、ファナティオに意見を求めた。
「ファナティオさん、どう思いますか」
「ここで迎え撃つ方が戦いやすいのは確かです。ですが、そうした場合セントリアの住民たちを巻き込む恐れがある」
 ファナティオからの進言にアスナは頷いた。
「そうですね。では、基本方針は出撃とします。あとはセルルト将軍を待ちましょう。デュソルバートさんは、カセドラル内の物資状況を確認してください。レンリさんはアユハさんとソネスさんを呼んできてください。神聖術師のみなさんにも、協力してもらわなければなりません」 
 アスナの指示を受け、整合騎士たちが広間を出て行く。その背中を見送りながら、アスナは小さい声でつぶやいた。
「キリトくんがいないときに、こんな反乱が起きるなんて……」
 まとわりつく不安を振り払うように首を振る。そして、決意をこめて顔を上げた。
「でも、必ず守ってみせるからね。君が守りたかった世界と、人々を」

 二時間後。ソルティリーナに率いられた人界守備軍、神聖術師隊、それに出撃する四人の整合騎士、レンリとデュソルバート、フィゼル、リネルがセントリア正門に集結した。セントラル・カセドラルを守るのはアスナとファナティオ、それにロニエとティーゼだ。フィゼルとリネルは、時間をおかずの出撃に不平を漏らしたが、帰ってきてからアスナ手製のお菓子をもらうことで納得した。

 反乱討伐軍が出立した頃、ロニエはセントラル・カセドラルで物資の整理を行っていた。キリトたち暗黒界への遠征、それに今回の討伐軍が組織されたことで、セントラル・カセドラルの物資はかなり少なくなっている。
――もし、今ここが襲われたら……。
 不吉な想像を浮かべそうになり、ロニエは慌てて首を振った。そんな想像をしている暇があったら、少しでも危機に備えるべきだろう。ファナティオが忙しく働いている時は、ベルチェの面倒も見なければならない。あやふやな未来を憂いている暇はないはずだった。
「しっかりしなくちゃ」
 ロニエはパン! と両の頬を叩き、自分に活を入れる。
「キリト先輩たちがいない間は、私たちがカセドラルを守るんだ!」

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