ソードアートオンライン アンリーシュ・ブレイディング

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《黒皇帝》編 第八話

「そうだ、キリト!?」
 両親のことで頭がいっぱいだったシルヴィーだったが、トルガシュの言葉でキリトのことを思い出した。慌ててキリトの方を振り返ると、キリトはいつの間にかミニオンの拘束を外し、自由となっていた。
「いつの間に……」
「シルヴィーたちが、あいつらの注意を引いてくれていたからね。その間に光素を使ってミニオンを倒したんだ」
 キリトが、先ほどまでシルヴィーの両親が立っていた場所に視線を落とす。
「シルヴィー、その……」
「何も言うな。父さまたちのことは、もう大丈夫だ」
 シルヴィーは、皇帝たちから視線を逸らさずに、きっぱりと告げた。その目はまだ赤いが、決意に満ちている。
「そうか。シルヴィーは強いな」
 俺とは大違いだ、とつぶやきながら、キリトも皇帝たちに向き直る。
「使えぬ泥人形が……変に自我など取り戻すと、こんなお粗末な結果になるのか」
 彫刻術師の言葉に、シルヴィーは唇を噛み締めた。双剣を握る手に力がこもる。
「やはり、自我を持たぬ人形の方が扱いやすい。お前のようにな!」
 彫刻術師が叫ぶと、天幕の中からズシンと重い足音がした。続いて、天幕の入り口をバキバキと破壊しながら、ジャイアントが現れる。それは、昨日イーディスに倒されたジャイアント族の長、シグロシグだった。油断なく剣を構えるキリトとシルヴィー。トルガシュは、シグロシグの後ろに下がり、姿を隠す。

「再び甦ったシグロシグよ、そいつらを殺せ!」
 彫刻術師の命令に、シグロシグは雄叫びを上げてキリトたちに突進する。振り上げた棍棒が、シルヴィーの頭上に迫った。
「――ハッ!」
 シルヴィーは白虎の剣を頭上にかざし、その重い一撃を受け止めた。ミシリと音がして、シルヴィーの足がわずかに地面に沈む。だが、それ以上押し込まれることなく、シルヴィーは気合いと共にその棍棒を弾き飛ばした。
「ウガアアアッ!」
 小さな人間に押し返され、シグロシグは怒りの咆哮を上げる。だが、岩をも砕くであろう棍棒の一撃は、キリトとシルヴィーの体を捉えることが出来ない。
「死者を、こんな風にしちゃいけないんだ!」
 シルヴィーが怒りをこめて叫んだ。戦っている相手なのに、憎いという感情は湧いてこない。このジャイアントも、シルヴィーの両親と同じように、あの術師によって操られているだけなんだ。一刻も早く、ちゃんと眠らせてあげたい。そうじゃないと、天界に行った魂が安らぐことが出来ないだろうから。

 ジャイアント族の長、シグロシグは確かに怪力の持ち主で、人間と比較すればその戦闘力は桁違いだ。だが、キリトと、白虎の剣の力を引き出したシルヴィーには及ばない。やがて、キリトの一撃がシグロシグの頸部を捕らえ、シグロシグの首が地に落ちた。そのまま、地面に溶けるようにシグロシグの体が泥に戻る。

「くっ……陛下、お逃げください。ここは退き、再度ミニオンを呼び出せば……」
 シグロシグが倒れ、敗北を悟った彫刻術師が皇帝の元へ駆け寄ろうとする。だが、シルヴィーがそれを許さなかった。逃げようとする背中に、シルヴィーの剣が突き刺さる。
「ぐはっ……」
「逃がさないぞ……ここで逃がしたら、また父さまと母さまのような人たちが生まれてしまう……」
「あ……あれは、げ、芸術……そして、戦争を変える、兵器なのだ……」
「違う! あれは、ただのおぞましい邪法だ! 二度と使われちゃいけないんだ!!!」
 絶叫と共に、シルヴィーが左手の剣で彫刻術師の体を貫いた。二本の剣を突き立てられた彫刻術師の体は動きを止め、やがてズルッと剣から抜け落ちた。

「残るはお前だけだ」
 キリトは剣を構えたまま、トルガシュに一歩近づいた。戦闘にも参加せず、戦いの趨勢を見守っていたトルガシュに、キリトは疑問を抱いていた。トルガシュは、四帝国の大乱でも自ら剣を取って戦った武人だと聞いている。それが、なぜこの戦いには参加しなかったのか。なにか、キリトたちの知らない秘策があるのかもしれない。
「さすがは代表剣士。うまくすればその命を奪うことも……と思ったが、そう容易く事は運ばぬか。その小娘が裏切ったのも、想定外と言えば想定外だ」
「私は、父さまと母さまの教えに従っただけだ」
「ふっ、世に忠誠を誓ったことを忘れたか……とはいえ、それを言っても詮無きことか」
「どうやら観念したようだな。だったら、武器を捨てて投降しろ」
 油断なく剣を構えるキリト。シルヴィーもキリトの後ろで、周囲を警戒している。
「サザークロイス皇帝として、貴様に降るなどという選択肢はありえぬ。さあ、その剣技を余に見せるがいい。存分に立ち合ってやろう」

 勝負は一瞬だった。余裕の表情を見せるトルガシュだったが、キリトと打ち合うことが出来たのはわずか数合。キリトの剣戟に押され、体勢を崩したところを、あっけなくキリトの剣がトルガシュの胸を捕らえた。
「ぐふっ……」
「お前たちの肉体がかりそめで、その命を繋ぐ方法があることはわかっている。赤い宝石が、その鍵であることも」
「……だから、どうした」
「なに?」
「もう少し時を稼ぎたかったが……この程度でも充分だろう」
 口元から赤黒い血をしたたらせながら、トルガシュは満足げな笑みを浮かべた。
「それは、どういうことだ……」
 キリトが不審げな表情を浮かべ、さらに問い詰める。だが、トルガシュが答える前に、シルヴィーの叫び声が上がった。
「キリト、危ないっ!」
 死んだと思われていた彫刻術師が突然体を起こし、鋼素で作った槍をキリトへ向けて飛ばす。トルガシュの体から剣を引き抜き、間一髪でキリトは槍を防いだ。シルヴィーが駆け寄って攻撃しようとするが、その前に彫刻術師の体は力を失い、今度こそ力尽きた。

キリトの剣が引き抜かれ、支えを失ったトルガシュの体は、形を失いながら地面へと崩れ落ちる。そこから赤い宝石が出現し、鈍く輝きながら宙に浮かんだ。
「くっ……」
 槍を弾いたキリトが、返す刀でその宝石を攻撃する。だが、宝石はその切っ先が届く前に、ものすごいスピードで空へと飛び去ってしまった。クルーガを倒した時と同じように。

「くそ、また逃がしてしまった……」
 悔しそうにつぶやきながら、キリトはトルガシュの体があった場所を見る。そこには豪奢な鎧と大剣が残っていたが、肉体は完全に崩れ、消えてしまっていた。
「手がかりになりそうなものは残ってないな。クルーガの時は、徽章が残っていたんだが……」
 膝を折り、地面を探すキリトに、シルヴィーがおずおずと近づいた。
「……キリト」
 消え入りそうなその声には、後悔と申し訳なさ、それに悲しさが混ざっていた。キリトは立ち上がり、シルヴィーに笑顔を向ける。
「私は……私がしたことは、許されることじゃない。だから……」
 必死に声を絞り出し、謝罪するシルヴィーに、キリトは右手を差し出した。
「帰ろう、シルヴィー。シャーリーが待ってる」
「え……? でも、私は……」
「事情は、だいたいわかってる。君がここに居る理由も、戦ったわけも」
「だったら!」
「……俺にも、大切な人がいた」
「大切な、人……?」
「もう戻ってこないってわかっているけど、それでも……もし会えるとしたら、どんなことをしてでも、会いに行くかもしれない」
 キリトの左手が、無意識に腰の鞘を探る。だが、青薔薇の剣は、ティーゼに渡してしまった。そのことを思い出して、ぎゅっと拳を握る。
「シルヴィーの気持ちがわかる、とは言わない。でも、結果的に、俺も君も無事だった。悲しい思いはしただろうけど……」
「……甘いんだね、人界人は」
 キリトの右手を見つめながら、シルヴィーはつぶやいた。許してもらった嬉しさに、キリトへの同情……さらに、キリトの言うとおり、誰にも自分の気持ちはわからないという反発もある。だが、大切な人がいたというキリトの言葉は、信じることが出来た。
「お人好しだっていうのは、よく言われる」
「……わかった。帰って、シャーリーに謝るよ」
 そう言って、差し出されたキリトの手を取る。
「それに……辛くて悲しくて、もう二度とイヤだけど……父さまと母さまにもう一度会えたことは、忘れない」
「ああ、それでいいと思う」
 キリトが力強くシルヴィーの手を握る。シルヴィーも負けずと握り返し、ふたりは顔を見合わせて笑った。

「あー、キリト! シルヴィーと手を繋いでる!!」
 上空から響いた言葉に、シルヴィーはさっと手を引っ込める。上空を仰ぎ見ると、イーディスが霧舞に乗って下降してくるところだった。
「イーディス! そっちも無事だったんだな!」
「まあね。こっちも片付いたみたいじゃない」
「ああ……一応な」
 霧舞が地面に降り立つのを待って、キリトはイーディスに状況を説明する。シルヴィーの両親の話を聞くと、イーディスは我が事のように怒り狂った。
「家族を人質にするなんて、絶対許せないわね。シルヴィー、辛かったでしょう」
「……もう大丈夫」
「強い子ね、シルヴィーは」
頭を撫でようとしたイーディスの手を、シルヴィーはさっと避ける。イーディスは残念そうだが、キリトが話したトルガシュの言葉を聞いて、眉をひそめた。
「トルガシュの言葉……時を稼ぐっていうのは、やっぱり時間稼ぎをしたってことだよな」
「前線だったら話はわかるけど、ここは本陣でしょ。このことを知らせれば、きっとこの戦いはあたしたちの勝利だわ。だったら……」
「ここじゃない、場所……ってこと?」
 シルヴィーの言葉に、イーディスとキリトは同時に顔を上げる。
「セントラル・カセドラル!」

「そうか、この反乱自体が陽動だったってことか」
「陽動にしては大きすぎるけど、もし敵の目的がカセドラルにあるとしたら、そこからキリトを引き剥がす必要があるものね」
「まずい、急いでカセドラルに戻らないと」
 キリトは、遥か西方……人界へと続く空を見上げた。
「イーディスとシルヴィーは、ここでのことをイスカーンに伝えてくれ。イーディス、くれぐれも……」
「大丈夫、安心して。シルヴィーのことはちゃーんとあたしが説明するから。ひどい目に遭わせようとしたら、あたしがとっちめてやるわ」
「……脱走の罰は、ちゃんと受けるよ」
「それで、キリト。あなたはどうするの?」
「俺はここから、人界まで全速力で向かう。ファナティオさんやデュソルバートさんもいるから、大丈夫だと思うけど」
 キリトが当たり前のように発した言葉に、シルヴィーが驚きの声を上げた。
「ここから、人界まで? キリトには飛竜もいないのに?」
「ああ、大丈夫。俺ひとりなら、そんなに時間もかからずに戻れると思う」
「確かに、さっきここに来たときも、空から来たけど……」
 その時は、別のことでいっぱいっぱいで、キリトが空を飛んできたという事実にまで頭が回らなかった。
「それじゃ、カセドラルの方は頼んだわよ、キリト」
「ああ、イーディスたちも気をつけて」
 言うなり、キリトは心意を発して空へと浮かび上がった。そのまま、飛竜をも超える速度で、西へと飛び去っていく。
「……すごい」
「キリトはちょっと規格外なのよね。さあ、あたしたちも帰りましょう」
「……うん」
「大丈夫、さっきも言ったけど、あたしがついてる。それに、みんなシルヴィーの気持ちはわかってくれると思うわよ」
「……ありがとう」
 シルヴィーがはにかみながらイーディスに礼を言う。その顔を見たイーディスは、
「かわいい笑顔。やっと笑ってくれたわね、シルヴィー!」
 と嬉しそうに笑った。

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