ソードアートオンライン アンリーシュ・ブレイディング

ソードアート・オンライン
アンリーシュ・ブレイディング

《黒皇帝》編 第七話

 暗黒界の暗い夜が白み、地平線からソルスが顔を出す。人界守備軍の兵士たちにとっては、こんな光でも恵みには違いない。夜襲がないかと気を張っていた兵士たちが、安堵のため息を漏らす。

「なあ、ここにキリトがいるんだろう!? 通してよ!」
「ここは一般兵士の立ち入りは禁じられている。さっさと立ちされ」
「でも、急いでキリトに教えなくちゃならないんだ!」
 キリトとイスカーンが整合騎士たちと会議を行っているところへ、外から声が聞こえてきた。
「この声はシャーリーか?」
「なんだ、至急の報せか、キリト」
「いや、シャーリーに見張りは頼んでないけど……」
 首をひねるキリトだが、考えるより話を聞いた方が早いと判断し、天幕の外へ声を掛ける。
「構わないから、その子を通してやって……」
 くれ、とキリトが言い終わる前に、シャーリーが天幕へ飛び込んできた。その顔は、不安で曇っている。
「キリト、シルヴィーがいないんだ!」
「いない? 見張りの部隊に参加していたのか?」
「違う、昨日寝るときまでは一緒だったんだ。でも、今朝になったらいなくて……」
「腹が減って先にメシでも食ってんだろ?」
 軽くイスカーンがいなすと、シャーリーはとっさに言い返そうとするが、相手が総司令官だとわかって口をつぐんだ。その代わり、泣きそうな顔でキリトに訴える。
「昨日、シルヴィーの様子が変だったんだ。あの時、わたしが止めてれば……」
「シャーリー、落ち着くんだ。大丈夫、シルヴィーはきっと見つけだすから」
シャーリーの肩に手をかけ、キリトが優しく諭す。
「様子が変って言ったけど、シルヴィーは何か言ってたのか?」
「実は、昨日シルヴィーが……シルヴィーのお父さんとお母さんを見たって……」
 シャーリーは、シルヴィーから聞いた話をキリトに伝えた。敵軍に、死んだはずのシルヴィーの両親がいた、ということを聞き、キリトは顔色を変える。最初は煩わしそうにしていたイスカーンの顔にも、驚きの表情が浮かんだ。
「おいおい、死んだヤツを生き返らせるって、本当に出来るのかよ……」
「死んだはずの皇帝が生きていたのは確かだ。だが、あいつらは秘術を使って自分の体を甦らせていたはずだ。誰も彼も生き返らせるなんて、そんなことは……」
「だけど、シグロシグも生き返っていた。どうやったかは知らねえが、蘇生する方法があると思った方がいいな」
「ああ……でも、誰彼構わず蘇生することは出来ないはずだ。何か条件があるに違いない……」
 キリトが腕組みをして考え始める。話を聞いていた整合騎士たちもお互いに相談し始めるが、イーディスが何かを思い出したようにふと顔を上げた。
「そういえば、カセドラルに彫刻が上手な術師がいたよね。まるで本物みたいな彫像を作ってさ。なんだか動き出しそうで、ちょっと気味が悪かったけど」
 イーディスの話に、エントキアがぽんと手を叩いた。
「ああ、そういえば。作った彫像を、元老長が壊してるのをよく見かけましたわ。確か、人界統一会議が出来たときに出て行ったきり、消息は不明だったと思います」
「まるで生きているみたいな彫像……それじゃ、そいつが皇帝のところにいて、死んだ人間の彫像を作り、その彫像をもとに何かしらの方法で甦らせているってことか」
 だが、その方法は……とキリトが話し始めるのを、イスカーンが止めに入る。
「ちょっと待て。今はその方法とやらを考えてる暇はねえだろ」
「そうですね。もうすぐソルスが昇りきります。その前に、今日の作戦を決定せねば」
 イスカーンにネルギウスも賛同する。確かに、原因を暴く前に、反乱を鎮めなければならない。それに、戦いに勝ってその術師を捕らえれば、死者を蘇らせる方法もわかるだろう。キリトもそう考え、イスカーンとネルギウスの意見に従った。だが、シャーリーは違った。
「ちょ、ちょっと待ってよ。それじゃシルヴィーはどうなるの? 早く探しに行かないと、敵の陣地にいるかもしれないんだよ!」
「裏切り者に構ってる余裕はねえよ」
「裏切り者って……そんなことない!」
「あるだろうが。両親が敵側にいたから、こっちを裏切って向こうについた。それ以外のなにものでもねえ」
 シャーリーが必死に訴えるが、イスカーンはにべもない。助けを求めてキリトの方を振り向くが、キリトも首を振った。
「シャーリーの気持ちはわかるけど、敵陣にいるシルヴィーを探し出すことは難しい。どこにいるかわかっているならともかく」
「でも、それじゃ……」
「それより、一刻も早くこの戦争を終わらせることだ。そうすれば、シルヴィーと話すことも出来ると思う」
「でもっ……」
 さらに言いつのろうとして、シャーリーは言葉を飲み込んだ。キリトの表情が、あまりにも苦しそうだったからだ。冷静に考えれば、キリトの言うことが正しいとわかる。うつむくシャーリーの肩に、イーディスがそっと手を置いた。
「そうだよ、頑張って今日のうちに敵に勝っちゃおう。そうすれば、シルヴィーも見つかるから」
 イーディスの慰めに、シャーリーは小さく頷いた。

「それじゃ、今日の作戦を決めよう。出来れば……」
 キリトの言葉を、イスカーンが強引に引き取った。
「速攻でケリをつける。向こうに死人を甦らせる術がある以上、長期戦はこっちの負けだ。なるべく早く終わらせねえと」
「あたしも賛成。これ以上ミニオンが出てきたら、戦える部隊が足りなくなっちゃうからね」
 イスカーンの言葉に、イーディスも賛成する。整合騎士たちも同じ意見だ、という風に頷いた。暗黒界軍には術師が少なく、人界軍の神聖術部隊は兵士の手当に当たっているため、ミニオンたちと対等に戦えるのは整合騎士のみ、というのが現状だ。
「俺もそう思う。だから、俺が敵本陣まで一気に攻め込む。それで敵の指揮官を倒す」
「ひとりで行くってのか? バカ言うな」
 頷くキリトにため息をつき、イスカーンが首を振った。
「イーディス、お前の飛竜でキリトと一緒に行け。お前らふたりなら、そう簡単に負けねえだろう」
「えっ、でも……ミニオンはどうするの?」
「舐めんじゃねえ。あの程度、オレたちだけでも負けやしねえ。それに、そっちの整合騎士もいることだしな」
 イスカーンはエントキアとネルギウスに向き直る。
「それとも、イーディスがいなけりゃ勝てねえか? 整合騎士のおふたりさんよ」
 挑発されたネルギウスは、険しい顔で言い返した。
「それこそ我々を愚弄しているぞ、イスカーン総司令官。ミニオン如きに後れを取る整合騎士ではない」
「そう言われちゃ、やるって言うしかないですなあ。ま、一日くらいなら何とかなるでしょ。先生たちがちゃちゃっと決着つけてくれれば問題なしですわ」
 エントキアも笑って引き受ける。
「シャーリー、そういうわけだから、あたしたちがシルヴィーを連れてくるまで頑張ってね」
「わかった。イーディスも気をつけるんだぞ。イーディスを倒すのはわたしなんだから」
「うん、気をつける」
 話がまとまったところで、イスカーンがパン、と手を打った。
「よし、これで作戦は決まった。頼んだぜ、キリト」
「ああ、任せてくれ。イーディスさん、よろしくな」
「オッケー」
 すっかり神聖語を使いこなし、ジェスチャーまで加えているイーディスに、キリトは苦笑した。

 ソルスが昇り切ると共に、両軍の兵士が激しくぶつかった。イスカーン率いる暗黒界軍の士気は高く、オーガやジャイアントにも互角の戦いを繰り広げている。だが、敵にミニオンが加わると、剣や拳で効果的なダメージを与えられず、ジリジリと戦線を後退させる。疲れ知らずのミニオンたちに比べ、術を使うための神聖力や術師たちの持つ触媒には限りがある。さらにイーディスが抜けたことにより、昨日よりも劣勢に追いやられてしまう。
「お前ら、押し負けるな! ここが踏ん張りどころだ!」
 自らも敵を殴り倒しながら、イスカーンは兵士たちに檄を飛ばす。その言葉に呼応し、押されていた拳闘士団が雄叫びを上げながら敵兵士を押し返した。ネルギウスとエントキアも、戦場を駆け回りながらミニオンを各個撃破していく。ギリギリの状態で、戦線は保たれていた。

 一方、戦場の上空には、霧舞に乗ったイーディスとキリトの姿があった。霧舞は敵陣の奥深く、指揮官がいるであろう本陣に向かって真っ直ぐ飛んでいる。霧舞の背に捕まりながら、キリトは眉をひそめて考えごとをしていた。
「………………」
「シルヴィーのことを考えてるの?」
「……ああ。死んだ大切な人が、実は生きていると知ったら……俺は、シルヴィーの行動も理解できる。たとえ九十九パーセント嘘だとわかっていても、残り一パーセントの奇跡にすがってしまう……」
 キリトの声を背中に聞きながら、イーディスは「パーセントっていうのはよくわからないけど……」とつぶやき、さらにこう続けた。
「でも、それはやっぱり逃げだと思う。事実から目を背けてるわ」
「手厳しいな……。もちろん、それはそうだけど……シルヴィーはまだ子どもだろ? だから……」
「あら、見た目はキリトとそんなに変わらないんじゃない?」
「そ、そうか? さすがに違うと思うけど……」
 苦笑いしたキリトの目が、突如鋭くなる。同時に、イーディスと霧舞にも緊張が走った。
「……キリト」
「ああ、気付いている。前方から飛竜が向かってきてるな」
「うーん、数が多いわね……ちょっと時間かかりそう」
 イーディスが背中ごしにキリトを見る。
「キリト、ここからひとりで飛んでいける?」
「ああ、それは大丈夫だけど……イーディスは大丈夫なのか?」
「こう見えても整合騎士よ。飛竜たちは任せて、早く行って」
「わかった」
 そう言うと、キリトは霧舞の背中から手を離し、空中に身を躍らせた。そのまま落下するのに身を任せ、心意を発動すべく神経を集中させる。すると、落下していた体がピタッと空中に停止し、一瞬後に飛竜を超えるスピードで飛び立った。
「話には聞いてたけど、本当に速いわねー」
 のんきにキリトを見送ったイーディスだが、近づいていくる羽音を聞いて表情を引き締めた。正面には、飛竜に乗った暗黒騎士が四人。いずれも剣を抜いて、攻撃の意思をみなぎらせている。
「さて、降参してくれると助かるんだけど……さすがに無理よね」
 相手の返事を待たずに、腰の剣を抜く。
「シルヴィーっていうかわいい女の子を助けに行かないといけないから、ささっと片付けちゃうわよ!」

 心意の力を使い、キリトは低い雲を切り裂くように飛ぶ。前線から離れたこのあたりでは、傷を負った反乱軍の兵士たちが身体を休めている。どうやら、治癒術を使える術師はあまりいないらしい。「これならこの場所を通り抜けるのに無用な戦いを避けられる」とキリトは安堵した。
 やがて、負傷兵たちのいるエリアを抜けると、ひときわ豪奢な天幕が見えてきた。そこには、暗黒騎士の鎧を着た暗黒界人が三人立っている。ひとりはシルヴィーだ。そのほかに人の姿は見えない。隣にいるふたりがシルヴィーの両親だろうか、と思いながら、キリトは地上に降りた。

「よう、シルヴィー」
 キリトは敢えて明るくシルヴィーに話しかけた。だが、シルヴィーは無言のまま、悲しそうな表情でこちらを見ている。そして、うめくような声で
「逃げるなら、今のうちだぞ」
とキリトに告げた。
「逃げるわけにはいかない。ここにいる反乱の首謀者を倒して、シルヴィーを連れて帰らないといけないからな」
「……私は帰れない」
 キリトから目をそらし、シルヴィーはうつむいた。後ろに控えていた両親が、剣を抜いてシルヴィーをかばうように前に出る。
「シルヴィー、もしかしたら君は知らないかもしれないが、その人たちは……」
「うるさい! ここにいるのは、私の父さまと母さまだ! 絶対にそうなんだ!」
 キリトの言葉を遮って、シルヴィーは絶叫した。同時に腰の剣を抜いて構える。そのシルヴィーをかばうように、両親がキリトとシルヴィーの間に立ちはだかった。
「シルヴィー、こいつが、皇帝陛下の仰っておられた敵なんだね」
「この男を倒して、もう一度一緒に暮らしましょう」
 そのふたりを見て、キリトは目を見張った。人間の姿をしているだけで、中身はミニオン。そう思っていたのに、相手はシルヴィーをかばい、労りの言葉をかけている。一瞬、もしかしたらミニオンではなく暗黒界人なのか、という疑念が頭をよぎった。そのくらい、相手の反応は人間らしく、とても、命令をうけて動くミニオンには思えなかった。
「これがもしミニオンだとしたら……」
 本当に、死者を蘇生させると言っても過言ではないかもしれない。それほどの技術を、敵は持っていることになる。そのことにキリトは戦慄した。

 シルヴィーは、震えそうになる切っ先を必死に抑え、自分を奮い立たせていた。相手は人界で最も強いとされる代表剣士・キリト。だが、その相手を倒さなければ、両親との生活はない。それが、人界と暗黒界をよくしようと考え、自分のような暗黒界人にも、優しい声を掛けてくれた相手だとしても……。

「キリトを……殺す?」
「そうだ。あの小僧さえいなくなれば、人界はまた混乱に陥る。さすれば人界、さらには暗黒界は我が手中に落ちたも同然よ。整合騎士が減った人界など、蹂躙できるわ」
 昨晩、両親との邂逅を済ませた後、シルヴィーは皇帝トルガシュにそう命じられた。
「あの小僧のことだ。おそらく明日はここを襲撃に来るだろう。戦争の終結と、貴様の救出というふたつの目的のためにな」
「き、キリトが私を助けに来るわけがない! だって私は……」
裏切り者だ、という言葉を音に出来ず、シルヴィーは口をつぐむ。だがトルガシュは楽しそうにそれを否定した。
「あの小僧の弱点は、その甘さよ。なるべく人を殺さず、裏切った者ですら投降すれば許す。明日、のこのこと姿を現した小僧を殺せば、お前は自由だ。あいつらとどこぞで暮らすといい」
 皇帝の隣で、彫刻術師が薄ら笑いを浮かべながら、顎で天幕の外を指す。両親は彫刻術師に命じられて外の見張りをしている。どうやら両親は、この術師の命令には絶対服従らしい。
「無論、負けたらお前は死に、あの泥人形たちも元の土に還る。わかっているだろうがな」
 泥人形、という言葉にギリッと奥歯を噛み締める。
「でも……私の力じゃ、キリトには……」
「ふん、お前ひとりでやれるなどと思っておらぬわ。だがあの小僧のことだ、顔見知りであれば剣も鈍るだろう。その隙に、我らがヤツにトドメを刺す」
 トルガシュは、シルヴィーが腰につけている剣に目をやった。
「それに、小娘には過ぎた剣を持っているではないか。その剣であれば、あるいはあの小僧にも傷を与えられるかもしれん」
「この剣……?」
「その剣は、まだサナギのようだな。真の力を使うことは出来ぬのか?」
「真の力って……」
「神器やそれに類する剣には、特別な力が宿る。その骨の剣は、かつて何かの動物だったのだろう。その時の記憶が、今もその剣には宿っているはずだ」
 彫刻術師の言葉に、シルヴィーは腰の剣をまじまじと見た。確かに、人界軍の女将軍も、強い剣だとは言っていたが……。
「お前に使いこなせるかわからないが、式句を教えてやろう。万に一つ、発動して代表剣士を倒せでもしたら僥倖だからな」
 彫刻術師は、気乗りのしない調子で、シルヴィーに式句を教える。だが、ようやく覚え得た式句を唱えても、剣には何の変化もなかった。シルヴィーはずっとこの剣を大切に手入れしてきたが、それはあくまで両親の形見としてだ。自らが使う武具として扱い始めたのは、ついこの間のことだ。彫刻術師は失望した様子だったが、期待をしていなかったシルヴィーは「こんなものだろう」としか思わなかった。それよりも、明日キリトが本当に来るのか、もし来たら、倒すことが出来るのか……いや、キリトに剣を向けられるのか、それだけをずっと考えていた。

「……私は、父さまと母さまを守る。そして、もう一度!」
 シルヴィーが閉じていた目を開き、キリトに斬りかかった。「待て!」と言いながら、キリトはシルヴィーの剣を受け止める。続けてシルヴィーの両親が二度、三度と激しく切りつけるが、キリトは余裕を持ってそれを弾いた。
「くそっ……」
 シルヴィーはさらに剣を繰り出す。これが並みの兵士であれば、一撃で斬り倒すことが出来ただろう。だがキリトにはどうしても届かなかった。渾身の力で打ち込んだ斬撃を弾かれ、シルヴィーは危うく剣を取り落としそうになった。慌てて剣を持ち直し、構え直す。
「シルヴィー、辛い気持ちはわかる。だが、君の両親は、もう……」
「黙れ! 黙れーーー!!!」
 キリトの口を封じるべく、がむしゃらに突っ込む。もしキリトの口から真実が伝われば、両親がどうなるかわからない。
「私だって、私だって……あっ!?」
 キリトの攻撃がシルヴィーの胸当てに当たり、衝撃で吹き飛ばされる。慌てて母親がシルヴィーに駆け寄り、父親がキリトとシルヴィーの間で剣を構える。その姿は、どう見ても本当の親子だ。キリトの攻撃が鈍り、そのすきにシルヴィーは立ち上がった。
「くっ、強い……」
 やはり、キリトは強い。シルヴィーと両親の三人がかりでも、勝てる気がしなかった。だが、勝てなければ両親は土に戻ってしまう。自分の命はともかく、両親をもう一度失うのだけは絶対に嫌だった。
――守りたい。父さまと母さまだけは――
背中に母親の手を感じながら、シルヴィーは強く思った。
―――私をずっと育ててくれたふたりだけは、絶対に――
 その時、不意に右手の剣から温かい何かが体に流れ込んできた気がした。巨大な体躯の獣が、さらに大きな体を持つ敵と戦っている。その体の下には、数匹の幼獣が隠れており、獣はその仔を守るために戦っているのだ。
――これは……剣の記憶?
 シルヴィーが想像したとおり、これは白虎の剣がまだ獣だったときの記憶。この神獣は多くの仔を産み、育てる母親だったのだ。敵の多い暗黒界で、獣は傷つきながらも常に仔を守り、決して背を向けることはなかった。その記憶が、シルヴィーの「両親を守りたい」という想いに呼応し、シルヴィーと共鳴した。

「システム・コール! エンハンス・アーマメント!」

 シルヴィー自身も意識せず、自然と口から式句が漏れた。その叫びと共に、白虎の剣が姿を変え、本来の姿を取り戻す。右手に持たれていた大剣は、いつの間にかふたつに分かれ、シルヴィーの両手に収まっていた。

「ぶ、武装完全支配術……双剣、だったのか」
「うおおおおーっ!」

 驚愕するキリトに、シルヴィーが襲いかかる。これまでの攻撃とは違い、一撃一撃が重く、キリトの手をしびれさせる。
「くっ……これまでとは段違いの強さだ。だが!」
 だが、驚きから立ち直れば、シルヴィーの剣技はキリトに及ばない。先ほどと同じく、致命傷を与えずにシルヴィーを弾き飛ばす。そう考えて、キリトはシルヴィーの胸元を突いた。

キィンッ

 だが、その剣はシルヴィーに届く直前で弾かれた。キリトとシルヴィーが、同時に驚きの声を上げる。シルヴィーも意識せず、剣がキリトの攻撃を弾き飛ばしたのだ。体勢を立て直したキリトがもう一度斬り掛かっても、同じ結果だ。
「こ、これが白虎の剣の力……?」
 キリトの狙い澄ました攻撃を、シルヴィーが受け止めることは不可能に近い。だが、白虎の剣は《護り》の力を持つ。相手の攻撃を受け止め、持ち主に傷を負わせることを許さない。シルヴィーもようやく、剣の持つ力を理解することが出来た。
「まさか、攻撃が通用しない……?」
 キリトの顔に焦りが浮かぶ。どんなに攻撃しても、完璧な防御の前に弾かれる。そこへ両親の攻撃も加わり、徐々にキリトは防戦へと追い込まれていく。

「このままじゃ……シルヴィーを倒すしかないのか……」

 キリトが本気で攻撃すれば、白虎の剣の護りも突破できるだろう。だが、そうなれば力の加減をするのは難しい。死には至らなかったとしても、大きなダメージを与えてしまうことは避けられない。その迷いが、キリトの動きを鈍らせる。

「……人界の戦士よ、貴様は手を抜いているな?」

 キリトの攻撃を受け止めた後、シルヴィーの父親はキリトを睨んでそう言った。キリトの動きが止まる。図星を突かれたためだ。
「私は、騎士としてここに立っている。貴様の力に遠く及ばずとも、全力で戦っている」
「………………」
 何も言い返すことなど出来ない。
「人界での礼儀は知らぬ。だが、その振る舞いは騎士として恥ずべき行為なのではないか」
 シルヴィーの父親の口調は鋭い。その言葉は、剣士としてのキリトの心に刺さった。だが、それと同時に、シルヴィーの胸にも響くものがあった。

「騎士として、恥じない行為……」

「この先、お前には大きな試練が立ちはだかるかもしれない」
異界戦争が始まる前、父親に言われた言葉をシルヴィーは思い出した。
「その時は……騎士として、そしてシルヴィー、お前個人として、誰に恥じることもない行動をしなさい」
「恥じる……? よく、わかりません」
「そのことを、誰に知られても恥ずかしくない――そしてお前自身も後悔しないように生きなさい」
「誰に知られても……父さまや、母さまに、胸を張って言えるように、ということでしょうか」
「そうだな、今はそう考えていていい。きっと、お前が大きくなったらわかるだろう」

 キリトが、人界と暗黒界のために戦っているのは知っている。そして、シルヴィーを従わせている皇帝たちが、それを阻み、再び戦争を起こそうとしていることも。どちらが正しいのか……考えないようにしていたが、シルヴィーにもわかっている。

「今だ……やれっ!」

 突如、天幕から号令が響き、黒い影がキリトへと飛びかかる。父親の言葉に迷い、動きが鈍ったキリトは避けることが出来ずに押さえ込まれてしまった。ぶよぶよとした黒い塊が、キリトの体にまとわりつき、動きを封じる。
「くそ、ミニオンか……」
「ククク、ようやく捕らえたぞ、代表剣士」
「お前は……皇帝、だな。サザークロイスの」
「これから死にゆく貴様には関係のないことだ」
 トルガシュは、シルヴィーに向けて命令した。
「小娘、その剣で代表剣士を殺せ。動けぬ相手であれば、貴様でも殺せるだろう」
「……っ」
 キリトがもがくが、ミニオンを振り払うことは出来ない。口を押さえられ、神聖術も唱えられない状況だ。
「………………」
 震える手で、双剣を構えるシルヴィー。だが、キリトに切っ先を向けたまま、動かすことが出来ない。
「どうした、小娘! 両親の命が惜しくないのか!」
 皇帝の言葉に、シルヴィーの両目から涙が零れる。しかし、震える切っ先は動かぬまま、やがて静かに下ろされた。
「小娘……」
「私には、キリトを殺すことは出来ない。騎士として……ううん、父さまと母さまの娘として。卑怯な真似をする相手に手を貸して、自分の欲望のために、キリトを殺すなんて……」
「貴様、裏切ったらどうなるか……」
怒号を飛ばすトルガシュを無視し、状況についていけぬまま、シルヴィーを見つめている両親に向き直る。
「父さま、母さま、ごめんなさい。私は嘘をついていました」
一度は止まった涙が、再びあふれる。途切れそうになる言葉を絞り出し、シルヴィーは真実を両親に告げた。
「父さまと母さまは……この間の戦争で、亡くなりました。今のおふたりは……」
 両親の手を取る。それは、確かに記憶にある、両親の手なのに。
「あ、あの皇帝と術師が作った……」
 これを告げたら、ふたりと永遠に分かれなければならない。でも――
「ミニオン、なんです……う、うう……」
 必死にそこまで告げると、シルヴィーは泣き崩れた。ここが戦場であることも、皇帝たちのことも、キリトも……全てを忘れて、シルヴィーは泣きじゃくった。その髪を、両親の手が撫でる。
「……そうか。お前に辛い思いをさせてしまったな」
「私たちが、シルヴィーの枷になってしまったのね」
 その声と手が優しくて、シルヴィーは顔を上げた。
「父さま、母さま、怒らないの? だって、私はおふたりを……」
「お前は、お前の想いに正直に生きなさい。私たちは、いつだってお前の味方だよ」
「父さま、母さま――」
 ふたりの胸に飛び込むシルヴィー。だが、その体を両親が抱きかかえようとした瞬間、怒号のような詠唱と共に、両親の体は崩れ、泥になった。シルヴィーはしばらくうずくまってしゃくり上げていたが、やがて立ち上がり、トルガシュと彫刻術師をにらみつけた。
「裏切ったな、小娘……」
「違う。父さまの教えの通りにしただけだ。あのままだったら、父さまと母さまを裏切るところだった」
「ほざくな! こうなったら、代表剣士共々、息の根を止めてやる!」

ストーリー トップへ戻る
βeater's cafeトップへ戻る
ページの先頭へ