ソードアートオンライン アンリーシュ・ブレイディング

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《黒皇帝》編 第九話

 デュソルバートたちが西帝国へと向かった数日後。人気のないセントラル・カセドラルの廊下を、ロニエは早足で歩いていた。ファナティオから命じられた武具の在庫確認が終わり、これから月駆たちの世話をしにいくところだ。暗黒界への援軍と反乱制圧のため、整合騎士や神聖術師たちの多くが戦場に駆り出されている。そのため、セントラル・カセドラルは閑散としていた。残されたロニエたちも、ほかの騎士たちがいない分やるべき仕事が増え、時間はあっという間に過ぎていく。
「あっ、ロニエ!」
「フレニーカ!」
 廊下を曲がったところで、フレニーカとばったり出会う。ソネスやデュソルバートといった講師たちが出陣しているため、見習いのための授業は行われていない。だから、フレニーカと会うのは久しぶりだった。
「あ、ごめん。忙しいよね」
「ううん、今ちょうど仕事が片付いたところだから。これから月駆の所に行くんだけど、よかったら一緒に行かない?」
「いいの? うわあ、月駆ちゃんに会うの久しぶり」
 弾んだ声で会話をしながら、ふたりは飛竜たちの元へ向かう。
「大変だよね、整合騎士の皆さん……」
「まあね。でも、フレニーカたちだって忙しいんじゃない?」
「うん……今は薬品とか触媒の作り方を教わってるところ。少しでも備蓄を増やさないとって」
「そうだよね……」
 武具と同様、神聖術に必要な触媒や薬も少なくなっている。今の央都の戦力的には、通常の三割程度しかない。今、ここが襲われでもしたら……と以前にも浮かんだ不吉な心配を、無理やり頭の中から追い出す。
「どうしたの、ロニエ」
「ううん、なんでもない。それより、この戦いが終わったら一緒にご飯食べに行こうよ。ティーゼも誘って」
「うん、賛成! でも、忙しいんじゃないの?」
「ご飯くらいなら、たぶん大丈夫。それじゃ、また今度連絡するから」
 久しぶりに楽しい予定が入ったことに、ロニエの心は浮き立った。きっとティーゼも喜ぶだろう。そうだ、せっかくだからアスナさまもお誘いして、フレニーカをちゃんと紹介して――一緒に歩きながら、楽しい想像はどんどん膨らんでいく。だが、その楽しい時間も、駆けつけてきた衛士によって中断された。
「ロニエ様! こちらでしたか!」
「どうしたんですか?」
 衛士のただならぬ様子を見て、ロニエも真剣な表情になる。
「至急、大広間にお越しください。ファナティオ様と副代表様がお待ちです」
「おふたりが……?」
 そのふたりが揃って待っていると言うことは、よほどの事が起きたに違いない。できる限り急いで行くべきだ。月駆には申し訳ないが、顔を見せてあげられるのはまた今度になりそうだ。
「ごめん、フレニーカ。私行かないと」
「うん、わかってる」
 フレニーカに手を合わせると、ロニエは衛士と一緒に廊下を走っていった。残されたフレニーカは、しばらくその背中を見送っていたが、やがて
「気をつけてね、ロニエ」
と、そっとつぶやいた。

 ロニエが大広間に駆け込むと、そこにはすでにティーゼも来ていた。そのほか、情報局長のシャオの姿もある。みな一様に表情が硬く、空気が張り詰めていた。
「遅くなって申し訳ありません! ロニエ・アラベル・サーティスリー、ただいま参りました!」
「大丈夫よ、ロニエさん」
 そう言って微笑むと、アスナは全員の顔を見回した。
「これで全員揃ったわね。それじゃファナティオさん、先ほどの報告をもう一度お願いします」
「はっ。先ほど、セントリア内の旧ウェスダラス帝城付近に暴徒が集まり、セントラル・カセドラルめがけて進軍の構えを見せているとの報告がありました。敵の練度が高く、帝城を守備していた人界守備軍は撤退、現在再編成中です」
 ファナティオが感情を殺した声で報告する。
「兵士たちは西帝国皇帝近衛兵の武装を身につけていたのことです。また、軍勢の中央に馬車があったとの情報もあります。身分の高い指揮官が乗っている可能性が高いと思われます」
「暴徒って……まさか、セントリアの中で……」
 衝撃を抑えきれず、ティーゼの口から驚きの声が漏れる。それはロニエも同じだった。ついさっき頭に浮かんだ不吉な予感が、こうも早く当たってしまうとは。
 すでに報告を聞いていたらしいアスナは、表情を変えない。ただ、目をつぶってじっとファナティオの話を聞いていた。
「反乱制圧軍より、反乱軍の中に皇帝の姿はなかったという報告が来ております。近衛兵の数が、想定より少なかったとも」
 シャオが手に持った紙片を見ながら報告する。
「暗黒界での騒動も、西帝国での反乱も……どちらも陽動だったということね」
 ファナティオが悔しさをにじませながらうなる。騎士団長として、見抜けなかったことを恥じているのだ。
「だとしても、どちらも見過ごすことは出来ませんでした」
 アスナが慰めるように言う。ロニエも、その通りだと頷いた。どちらも放置すれば、いずれ人界統一会議は脅かされていただろう。
「今は、眼前の敵に備えなければなりません。ファナティオさん、西帝国に向かった軍が戻ってくるまで、どのくらいかかりますか」
「はい。少なくとも二、三日はかかるでしょう。整合騎士のみであれば、もう少し早く戻れます」
「わかりました。ではその間、ここにいる人たちで耐えなければなりません」
 アスナの言葉に、ファナティオが頷く。そして、ロニエとティーゼに強い視線を向けた。
「代表剣士殿の留守中は、我ら整合騎士がセントラル・カセドラル、そしてセントリアを守る! わかったな、ふたりとも!」
「はいっ!」
 ロニエとティーゼの声が唱和する。ファナティオの言う通り、キリトの不在中にセントラル・カセドラルを守れないなんて、そんなことがあってはならない。たとえこの命に代えても……とロニエは胸の中で決意する。
「人界守備軍の皆さんにはセントリアの防衛を行って頂きます。恐らく敵の狙いはカセドラルだと思いますが、万一にも市民の皆さんに被害が及ばないように」
「承知しました。人界守備軍の指揮官には、そのように伝えます」
「リーナさんがいてくれたら、心強いんだけどね……」
 代表剣士キリト、そして整合騎士たちからの信頼が厚いソルティリーナ・セルルト将軍は、反乱制圧軍を指揮している。彼女がいたら、あるいは挟撃などの策も練れたかもしれない――とアスナは考えたが、いないものは仕方がない。
「ロニエさん、見習い術師の皆さんにも、戦闘に参加してもらうことがあるかもしれません。その旨、伝えてくれますか」
「わ、わかりました!」
 フレニーカとセルカは、すでに神聖術においてはロニエとティーゼの上を行っている。さらにフレニーカは修剣学院出身で、剣の心得もある。十分戦力として計算できる、と頭ではわかっていても、見習いである彼女たちを戦闘に巻き込むのは心苦しい。
「最終防衛戦は、この九十五階とします。ファナティオさん、ベルチェちゃんはここで保護します」
「はい。アスナさま……万が一の時は、ベルチェをよろしくお願いいたします」
 ファナティオの言う「万が一」とは、セントラル・カセドラルの陥落だ。アスナにも、そのことはわかっている。
「……わかりました。ですが、そうはなりません。必ずこのカセドラルと、みんなを守って見せます」
 キリトの守ろうとしている世界と、キリトが愛する人々を守る。キリトの不在中、何度もアスナはそう決意した。その誓いを、再び新たにする。
「はっ! 我ら整合騎士も全力を尽くし、アスナさまとカセドラルをお守り致します!」
「あたしたちも、お守りします!」
「私もです!」
 ファナティオ、ティーゼ、ロニエが口々に叫ぶ。これなら、きっと大丈夫。そうアスナは思った。
「だから……きっと早く戻ってきてね、キリトくん」

 一時間後。ロニエとティーゼは、セントラル・カセドラル正門で敵を待ち受けていた。ここにはファナティオも布陣している。整合騎士たち全員を最前線に集め、セントラル・カセドラルに入られる前に食い止めるという作戦だ。逆に、ここを突破されれば、あとは見習いたちとわずかな衛士、それにアスナしかいない。
やがて、ふたりの耳に激しい雄叫びと軍靴の音が聞こえてきた。敵の数は、百人に満たない程度であろうか。ここまで、人界守備軍は近衛兵たちに手を出していない。この二軍がぶつかれば、大勢の死者が出てしまうだろう。整合騎士たちであれば、殺さずに無力化することも出来る。そう考えて、アスナは人界守備軍には市民を守るよう指示を出したのだ。想定どおり、近衛兵たちはセントリアを襲撃することなく、まっすぐセントラル・カセドラルに向かってきた。

「……やるよ、ロニエ!」
「うん!」
「心強いな、ふたりとも」
 剣を抜き、構える整合騎士たちに近衛兵たちが突進してくる。だが、先陣を切った兵士はファナティオの剣に兜を打たれ、声も上げずに気絶した。そのままなだれ込んでくる兵士たちを、それぞれが殺さないように手加減して攻撃する。近衛兵たちの練度と士気は高かったが、それでも整合騎士たちと打ち合えるほどではない。手加減しているため数はなかなか減らないが、それでもセントラル・カセドラルに侵入される気配は今のところなかった。

――こうやって、少しずつでも敵の数を減らしていければ!

 ロニエの心に、わずかだが余裕が生まれる。ロニエもティーゼも、自分が思っているよりずっと腕を上げていた。普段の訓練では格上の整合騎士と戦い、これまで渡り合ってきた相手も強敵ばかりだったため、ロニエたちは自分たちの力を過小評価していた。近衛兵とはいえ、相手が人間の兵士であれば、後れを取ることはない。ティーゼもファナティオも危なげなく敵を減らし、このまま無事に戦いは終わるかと思われた。

だが、敵陣の奥にある馬車から、ひとりの剣士が姿を現したことで、状況が一変した。まだ顔は見えないが、男は大きな剣を肩に担ぎ、こちらを伺っている。ただ立っているだけなのに、ロニエは体が震えるような威圧感に襲われた。だが、どこかでこの相手と立ち会ったことがある。なぜかそんな気がした。

「ま、まさか……! そんな、ありえぬ!」
 近くで戦っているファナティオも、驚愕の叫び声を上げる。その声を聞いて、ロニエは「ファナティオも相手の強さに驚いたのだ」と思った。しかし、ファナティオを見ると、そんな驚きを遥かに超える、悲壮な顔をしていた。何か思い当たることがあるのだろうが、とロニエは思ったが、それを確認する暇はなかった。

「……えっ?」

 ファナティオから視線を戻すと、目の前に敵の姿があった。先ほどまで確かに数十メル離れていたはずなのに、まるで瞬間移動したかのようにロニエの間合いに入り、構えた剣を振り下ろす。その剣は、ロニエの頸部を的確に狙っていた。

――避けられない!

 身をかわすことも、剣で防ぐことも出来ない。敵の斬撃はそれほどまでに鋭かった。ロニエの脳裏に、キリトの姿が浮かぶ。キリトのためにも、せめて一太刀浴びせなければ……そう考え、ロニエは命を守ることを諦め、剣を突き出した。

ギィン!

 だが、ロニエの首が落とされることはなかった。刃が届く寸前、ファナティオがその剣を受け止めたのだ。同時に、ロニエの剣を避けて、相手が後ろへ飛ぶ。そこで、ようやくロニエは相手の姿を確認できた。

「え……あなたは……」

 肩に担いだ大剣と、東方風の装束。二メル近い大きな体に、青みを帯びた鉄灰色の髪。

「……ベルクーリ、閣下」

 ファナティオが、食いしばった口の隙間から、絞り出すようにその名を唱えた。

 突然現れたベルクーリの姿に、ティーゼは愕然としていた。ベルクーリは、異界戦争の際に皇帝ベクタと戦い、その命と引き換えに、一度はベクタを倒したのだ。そのベルクーリが、なぜここにいる。

「まさか……クルーガと同じ? でも……」
「これこそが、我ら奥義の神髄よ。死者を甦らせ、意のままに操ることも可能なのだ」
ティーゼの背後から、尊大な声が聞こえた。振り向くと、そこには豪奢な服を着た老人が立っていた。ティーゼは直接見たことはなかったが、その風貌は聞いていた西帝国皇帝・アルダレス・ウェスダラス五世のものだった。
「嘘だっ! 死者は決して甦ったりしない!」
 ティーゼは髪を振り乱して絶叫した。背中に背負っている青薔薇の剣に、ティーゼの赤い髪が絡まる。ティーゼは、かつてその剣の持ち主の幻影を追いかけて、相棒を危険に晒したことがある。その時にキリトは言っていた。もし死者の声を聞けたとしても、それは本物のあの人ではないと。だから、あそこにいるベルクーリ――に見えるなにか――も、決して本人では有り得ないのだ。
「死者の魂をもてあそぶ外道め……絶対に許さない!」
「ほっほっほ、やってみるがよい」
 アルダレスがパチン、と指を鳴らすと、背後から異形の怪物が三体飛び出す。ティーゼは攻撃を避け、後ろへ飛びずさった。
「ミニオン……!」
 アルダレスはともかく、ミニオン三匹を相手にするのはかなり厳しい。だが、ファナティオとロニエは、偽ベルクーリの相手をしている。
「あたしが、食い止めないと……!」
 セントラル・カセドラルにはアスナがいるとはいえ、侵入されれば、見習いや戦闘が不得手な職員たちが襲われることになる。それだけは避けたかった。
「ユージオ先輩、力を貸してください……!」
 背中にある青薔薇の剣に触れ、ティーゼは祈る。指先から伝わる冷たさから、少しだけユージオのことを感じられた気がした。

「閣下、ベルクーリ閣下! 私です、ファナティオです!」
 ベルクーリと激しく斬り合いながら、ファナティオは必死に訴える。ベルクーリの剣は、生前のそれと変わらぬ鋭さだ。だが、ファナティオも幾つもの激戦をくぐり抜け、これまで以上に腕を上げている。それでもファナティオがベルクーリに打ち込むのは困難だった。
 ロニエは、ふたりの戦いを見ているしか出来なかった。うかつに手を出せば、かえってファナティオに迷惑がかかってしまうだろう。それに、九割九分偽物とわかっていても、ベルクーリの姿をした敵に攻撃するのは、どこかためらいがあった。

 ファナティオは、絶望に陥っていた。ベルクーリの瞳に意思は感じられず、ただ眼前の檄を殺すことだけにまい進しているように見える。ファナティオがどれほど声をかけても、名前を呼んでも、ベルクーリは反応しない。失ったはずの愛する人が目の前にいるのに、手が届かない。その絶望はいかほどだろうか。
「……閣下。いや、お前は閣下ではない……んだな」
 ファナティオは、何度も頭の中を駆け巡った思いを、ようやく口にした。口にすることで、その事実を自分に納得させようとしたのだ。そして、同時に今自分がすべきことを思い出す。ファナティオの守るべきものはセントラル・カセドラルであり、そこにいるベルチェたちだ。
「――ロニエ、ティーゼを助けてあげて」
「ファナティオ様、でも……」
「大丈夫」
 ファナティオの声は、先ほどまでの悲痛なものではなかった。そこに力強い意思を感じ、ロニエは「わかりました!」と答えて、ティーゼの元に向かった。
「閣下の姿をした偽物よ。その姿を私の前にさらしたことを後悔させてやる……はあっ!!!」
 横殴りに振るわれた剣を弾き、ファナティオが鋭く剣を突き出した。避け損ねたベルクーリの胸をかすり、皮膚に浅い傷が出来る。ベルクーリの目に、わずかに光が点った。そして、これまで以上の力で剣を振り下ろす。ファナティオもまた、その剣をかわして必殺の一撃を繰り出した。

 ふたりの剣戟は、五分以上も続いた。ファナティオの体には、致命傷に至らない無数の切り傷が出来ている。ベルクーリもまた同じだ。お互い、刃が体をとらえれば相手の命を奪う――そんな攻防が永遠に続くかに思われた。
 だが、ベルクーリの方に変化が現れた。意思のなかった瞳に光が宿り、能面のようだった顔にも表情が浮かぶようになる。そして、何十合目かの打ち合いでつばぜり合いになったとき、初めて口を開いた。
「ファナ……ティオ、か」
「っ!!!」
 ファナティオが大きく目を見開いた。懐かしい、夢で何度も聞いた声。その声を聞いて、涙があふれる。だが、ファナティオは一瞬緩みそうになった力を入れ直し、叫んだ。
「それでも、私は――っ!!」
 渾身の力で、相手の剣を押し返す。その力を受けきれず、ベルクーリの体がよろめいた。初めて見せたその隙に、ファナティオは武装完全支配術を発動させた。
「うおおっーー!!」
 剣が白い光となって、ベルクーリの胸に迫る。
「……フッ」
その時、自分の胸に迫る光をみながら、ベルクーリは笑った。そして、構えていた剣を下ろし、やさしい目でファナティオを見る。
「か、閣下……!」
 ファナティオがつぶやくのと同時に、ファナティオの剣がベルクーリの胸を深々と貫いた。

「閣下……どうして……」
「お前の剣…そして、お前の目。たとえ何があろうが、忘れることはねえよ」
「か、閣下……わ、私は……」
「いつだってそうだっただろ。お前がそんな目をしているときは、お前が正しいのさ」
「そんな……私は、いつだって閣下に導かれてばかりで……」

 ファナティオの剣が貫いた箇所から、ベルクーリの体が崩れていく。

「閣下……ベルクーリ様!」
「短い間だったが、会えて良かったぜ」
「ベルクーリ様、貴方との子はベルチェと名付けました。私が、必ず一人前の騎士に育てて見せます!」
「……ああ、お前なら大丈夫だ、ファナティオ」
「閣下……!」

 ベルクーリの手が、ファナティオの髪を撫でる。その手に、ファナティオはそっと自分の掌を重ねた。最後、その手が泥となって崩れ落ちるまで。

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