ソードアートオンライン アンリーシュ・ブレイディング

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アンリーシュ・ブレイディング

《黒皇帝》編 第五話

東の空にソルスが昇り、闇に覆われていた暗黒界の大地が朝の光に照らされる。つかの間、休息を取っていた兵士たちも、その光に追い立てられるようにもぞもぞと動き始めた。
イスカーン率いる部隊と反乱軍の戦いは、3日目を迎えるようとしていた。

「それで、イスカーン。戦況はどんな感じだ」
 総司令官の天幕で、キリトがイスカーンに尋ねる。キリトは、イーディスたちと共に暗黒界に到着したばかりだ。この場にはキリトたち3人のほか、イスカーンの側近ダンパ、整合騎士のネルギウス・シンセシス・シックスティーンとエントキア・シンセシス・エイティーン。それに暗黒騎士見習い扱いのシャーリーとシルヴィーがいた。
「良くも悪くもねえな。兵の数はこっちが上だが、向こうにはジャイアントやオーガがいる。オレやダンパならともかく、兵士たちは1対1じゃ勝てねえ」
イスカーンが渋い顔をして答える。
「それに、異界戦争で死んだはずのジャイアント族の長・シグロシグが、敵部隊に加わっているようで……」
「死んだはずのジャイアント族の長!? それ……本当なの!?」
報告をするダンパにイーディスが血相を変えて詰め寄る。その迫力に押され、ダンパは体をそらしながら頷いた。
「少なくとも、かなりの実力者であるジャイアント族がいることは確かですね」
「そこと当たった部隊は損耗がひどいですわ」
ネルギウスとエントキアも浮かない表情だ。整合騎士であるふたりなら互角に戦えるだろうが、彼らの完全支配術は多数を相手するのに向いている。戦線の維持のためにも、ふたりをシグロシグに対峙させることは難しかった。
「イーディス、何か知ってるのか? そのジャイアントについて」
「そいつ……たぶんダキラの仇だわ。ファナティオが倒したって聞いてたけど」
キリトにそう答えると、イーディスはイスカーンに向き直った。
「イスカーン、そのジャイアントの相手はあたしに任せてくれない? もし本当に甦ってるんだとしたら、あたしの手でダキラの仇を取ってあげたいの」
「ああ、こっちとしても願ったりだ。相手がシグロシグだとしたら、一部隊をぶつけてようやく倒せるかってところだからな」
「ありがと。ダキラの仇、絶対取ってあげるからね……」
イーディスは、決意をこめて拳を握る。いつも飄々としたイーディスを見ていたキリトは、その様子をわずかな驚きをこめて見つめていた。
「んで、こいつらはここに居て大丈夫なのか?」
そう言うイスカーンの視線の先には、シャーリーとシルヴィーのふたりがいた。シルヴィーは自前の暗黒騎士の鎧を身につけているが、シャーリーがまとっているのはサイズの合わない借り物の鎧だ。イスカーンの言葉にシルヴィーはぐっと唇を噛む。だがシャーリーの方は黙っていなかった。
「あっあたしはリピア様の一番弟子だぞ! 暗黒術だって……」
と式句を唱え始めるシャーリーをキリトがあわてて制する。
「シャーリーもシルヴィーも、暗黒界から人界に来た留学生だ。ふたりの実力は俺が保証するよ」
「ほお、キリトがそう言うってことは、よほどの腕だな。ならひとつ、オレと……」
「総司令、まもなく戦が始まります。腕比べをしている時間はありません」
「そんなに時間はかからねえよ。それとも、オレがこいつらに苦戦するとでも言うのか、ダンパ」
「そうではありませんが……」
「はは、相変わらずダンパさんは大変そうだな」
 キリトの言葉に皆が笑い、張り詰めていた空気がふっと弛緩する。
「ま、しょうがねえ。腕比べはまた次にするとして……イーディス、本当にシグロシグは任せていいんだな」
「もちろん。必ず倒してくるから」
「よし、あいつが倒れれば、一気にこっちが有利になる。暗黒騎士団と拳闘士団は、それまで全力で前線を支えろ」
「かしこまりました、総司令官」
「んで、キリト。お前はどうする? 整合騎士たちと一緒に戦うか?」
「もし可能なら敵の本陣を叩きたい。人界の皇帝が関わっている可能性もあるし」
 もし皇帝がいて、彼らが死者を蘇らせているとしたら、シグロシグを倒してもまた復活してしまう可能性がある。ならば先に皇帝を叩きたいというのがキリトの主張だが、イスカーンは首を横に振った。
「いや、そいつは難しいな。敵本陣は、前線からかなり離れている。お前なら、行くだけなら可能だろうが……」
「……そうだな。敵の正体がわからない以上、無理は出来ない。なら、ネルギウスさんたちと一緒に戦うよ」
「先生がいてくれるなら心強いですわ! な、ネギオ?」
「ネギオと呼ぶな!」
 ネルギウスは肩に回されたエントキアの腕を振り払い、
「……確かに、代表剣士殿がいれば戦いやすいでしょう。回復術にも長けておりますし」
「ありがとう。よろしく頼む、ふたりとも」
 キリトに言われ、ネルギウスは渋々頷いた。
「よし、それじゃ出陣だ! 今日こそあいつらをぶっ潰すぞ!」

 開戦の合図と共に、両軍が激しくぶつかり合う。一瞬ごとに、剣は肉を貫き、拳が骨を砕いて兵士たちが倒れていく。

 イーディスは、怒号と血しぶきが舞う中、敵軍を切り分けシグロシグの元へと辿り着いた。シグロシグは振り上げた血まみれの鉄槌を下ろして、うつろな目をイーディスに向ける。
「あなた、異界戦争で死んだジャイアント族の人って聞いたんだけど。本当?」
「グォォ……ニンゲン……」
イーディスの問いに、シグロシグは答えない。ミニオンであるシグロシグには、生前の記憶は残っていない。あるのは目の前の敵を倒すという闘争本能だけである。
「答えてもらえないか。でも、ファナティオから聞いた姿と同じだから……」
 ブォン
イーディスの言葉を遮り、シグロシグが鉄槌を振り下ろした。地を揺るがす轟音と土煙が上がるが、イーディスは身をかわしていた。
「問答無用ってわけね。なら、こっちも遠慮なく、ダキラの仇を取らせてもらうわよ!」
 イーディスの気合いに、シグロシグの動きが一瞬止まる。対峙したイーディスも、剣を正眼に構えたまま動かない。混沌とした戦場の中で、そこだけがまるで凍り付いたように動きを止めた。

 暗黒騎士たちと共に、騎士として戦場に立つことに喜びがないと言ったら嘘になる。だが、人界人を味方につけ、暗黒界人たちに対して刃を向けることに、シルヴィーは戸惑いを覚えていた。
両親の死を目の当たりにしてから、シルヴィーはその敵を討つことだけを目指して剣を磨いてきた。だが、両親を殺した整合騎士もすでに死んでいることがわかり、シルヴィーの目標は失われてしまった。自分が何をしたいのか、わからないままにこうして剣を振るっている。
「……ダメだ! 今は戦いに集中しないと!」
 一瞬でも気を緩めれば、敵に殺される。殺されないためには、相手を殺すしかない。それが、たとえ同じ暗黒界人だとしても。シルヴィーは心を殺して、剣を振るい続けた。

 シグロシグが怒号と共に振り下ろした鉄槌をカタナでいなし、イーディスは相手の懐に潜り込む。シグロシグがもう一度鉄槌を振り上げたときには、イーディスの刃がシグロシグの喉を貫いていた。
「ファナティオが苦戦したって聞いたけど、その時よりは随分弱いみたいね。死んでから甦ると、腕も落ちちゃうのかしら」
 だが、まだ勝負は付いていなかった。ミニオンであるシグロシグは、生前のように暴走して敵を圧することは出来ないかもしれない。だが、剣で喉を貫かれた程度で絶命することもなかった。喉から黒い液体を垂れ流しながら、シグロシグは両腕でイーディスを締め付ける。
「くっ……、あんたみたいなのに抱きしめられても嬉しくないんですけどっ……!」
もはやシグロシグの口からは、ブクブクという泡を吐く音しか発せられていない。だが、ミニオンの生命力はシグロシグにまだ死ぬことを許さなかった。万力のような腕に締め付けられ、イーディスの鎧がギシギシときしむ。いくら整合騎士の鎧が堅牢とはいっても、そう長くは持たないだろう。
「このっ、離しなさいってば……」
 イーディスが体をよじるが、シグロシグの力は緩まない。右手のカタナがわずかにシグロシグの体を傷つけるが、その程度で腕が外れることはなかった。
――周囲の味方を巻き込むけど、記憶解放術を使うしかないか。
 そうイーディスが考えたとき、
「イーディス!」
「この声……シャーリー!?」
「システム・コール! ジェネレート・ルミナス・エレメント!」
 兵士たちの剣戟の隙間から飛び出してきたシャーリーが、光素を生み出してシグロシグの顔に向けて放った。
「グオオッ!」
 シグロシグは腕を上げて顔をかばい、イーディスの拘束が解ける。光素がぶつかった箇所は、ブスブスと音を立てて溶け出していた。
「ありがとう! 助かったわ、シャーリー!」
「イーディスを倒すのはあたしだからな! あんなのにやられるな!」
「そうだったわね。それじゃ、弱点もわかったことだし、一気に倒しちゃうから!」
 そう言うと、イーディスは神聖術の式句を唱えた。光素にひるんでいたシグロシグが、慌てたように鉄槌を構えて突進してくる。だが、イーディスが詠唱を追える方が早かった。イーディスの手から放たれた複数の光素がシグロシグを取り囲み、体を焼き尽くしていく。
「ガアアアアッ」
 体の半分が融解しながらも、シグロシグはかざした鉄槌をイーディスに振り下ろす。だが、その速度は弱く、イーディスの体に届くことはなかった。イーディスは軽く身をかわすと、カタナを一閃させる。一瞬の後、シグロシグの首がゴトリと音を立てて地面に落ちた。
「ふう、何とか倒せたわね」
「あたしの暗黒術のおかげだな!」
「そうね、シャーリーには助けられちゃった。いつの間にか強くなったのね、シャーリー」
「もちろん! イーディスを倒すために、毎日修行してるからな!」
「うん、頼もしいよ」
そういうイーディスの前で、シグロシグの体が溶け、黒い液体となって地面に吸い込まれていく。
「……ダキラ。あんたをいじめたヤツが甦ったけど、あたしがやっつけておいたから。だから安らかに、ファナティオ騎士長を見守っててね」

 イーディスとシャーリーがシグロシグを撃破したことで、それまで均衡が保たれていた戦線がイスカーン側に大きく傾いた。もとより、反乱軍は統率された軍隊ではなく、個々の力に依存して戦っていた集団である。それが、戦力の中心だったシグロシグを失ったことで総崩れとなり、陽が落ちる頃にはもはや決着が付いたかと思われた。

「敵はもう戦線を維持できてねえ。明日には、敵本陣に攻め込めそうだぜ」
「ああ。これもシグロシグを倒してくれたイーディスのおかげだな」
「うん。シャーリーにも手伝ってもらっちゃったけどね」
「本当か? 俺の知らない間に、シャーリーもどんどん強くなるな」
「あたしも、油断してられないよ」
 イスカーンの天幕では、そんな和やかな会話が繰り広げられていた。敵の本陣を叩いて、黒幕を討つ。そうすればこの騒動も落ち着くだろう。キリトはそう考えていた。

だが、その見込みは甘かった。翌朝、キリトたちはその事実を突きつけられることになる。

「ダメだ、こいつら剣が効かねえぞ!」
「拳でも倒れねえ! なんなんだ一体!」
 反乱軍に出現したミニオンによって、一度はイスカーン軍の側に傾いた戦況は、再び反乱軍の有利へと変わった。ミニオンに対しては、剣や拳のような物理攻撃は効きにくい。効果的なのは術による攻撃だが、イスカーン配下の暗黒術師ギルドには戦場に立てるような術師はいなかった。人間や亜人を核としないミニオンには知性と呼べるものはないが、ただ前進してくるだけでも充分に脅威となってしまう。
「ここは私たちに任せて、皆さんは下がってください!」
「後ろにはイーディスの姐さんとキリト先生が控えてますんで。そこで傷を治してくれますから!」
 ミニオンの進行に対して、イスカーンは前線を下げざるを得なかった。ミニオンの相手はネルギウスとエントキアが務め、キリトとイーディスはけが人の治癒に追われる。それでも戦線が崩壊しなかったのは、敵の統率が取れていなかったからだろう。

 シャーリーとシルヴィーも、数少ない術の使い手として、前線部隊に編入された。術と剣の両方を使える者は暗黒騎士団でも多くはなく、攻撃に回復に戦場を駆け回ることになった。
 なんとか敵の侵攻を押しとどめ、ようやくソルスが西の空に沈みかけた時、シルヴィーは敵陣に思いがけないものを発見した。
「あの鎧は……父さま? それに母さまも……?」
黄昏時で、顔まではっきりと見ることは出来ない。だが、そこに見える暗黒騎士は、シルヴィーの両親と同じ鎧を身につけていた。ふたりは敵軍に混ざり、こちらの兵士を攻撃している。その剣筋にも、シルヴィーは確かに見覚えがあった。
「まさか……でも、どうして!? 父さまたちは確かにあの時死んだはず……」
 シルヴィーの脳裏に、斬られた両親の姿が浮かぶ。忘れようとしても、決して忘れることが出来なかった光景だ。見間違いであるはずがない。
「それに、もし生きていたら……どうしてわたしになにも言ってくれないの!?」
 葛藤のあまり、シルヴィーの目の前が真っ暗になる。このまま、両親の元に走って行こうか。そう思ったとき、両軍の撤退を告げる角笛の音が響き渡った。
「父さま! 母さま!」
 敵陣へと帰って行く両親に向かって、シルヴィーは叫んだ。だがその声は相手に届くことはなく、やがてシルヴィーの視界から消えてしまった。

「なあ、シルヴィー。さっきなんだけど……」
 簡易テントの中で、食事も取らずにうずくまるシルヴィーに、シャーリーが話しかけてきた。いつもの陽気さはなく、シルヴィーの様子をうかがっているようだ。
「……あたしの聞き間違えじゃなければ、お父さんとお母さんを呼んでた?」
「……聞いてたの?」
「ま、まあね。シルヴィー、すごい大きい声で呼んでたし」
 シルヴィーは何も答えずシャーリーを睨む。シャーリーは目をそらしながら、それでもシルヴィーを案じるように
「確か、シルヴィーのお父さんたちって……」
「死んだ。整合騎士に殺された」
「だ、だよね。でも、それならなんで……」
「敵陣にいた。あれは確かに父さまと母さまだった」
「見間違えじゃないの? だって……」
「そんなことない! 絶対にそうだった!」
 激高したシルヴィーに、シャーリーは口ごもる。慌ててなだめようとするが、その手を振り払ってシャーリーに怒鳴り散らした。
「わたしが父さまたちを見間違えるって言うの!? ずっと、ずっとふたりのことを思って来たのに! それなのに、見間違えるはずないじゃない!」
「で、でも……」
「……向こうに行って。話したくない」
 大きくため息をついたシルヴィーは、シャーリーに背を向けてそうつぶやいた。
「シルヴィー……」
「怒鳴ってごめん。でも、今は話したくないから」
「……わかった。あたしもごめんね」
 それきり黙り込んだシルヴィーを、シャーリーは心配そうに見ていたが、やがてそっとその場を離れた。

 深夜。食事も取れず、眠ることも出来ないシルヴィーは、兵士たちが寝静まったのを確認し、そっと天幕を抜け出した。その手には、両親から受け継いだ剣を持っている。シルヴィーの顔には、決意の表情が浮かんでいた。

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